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【日本人はなぜ戦争へと向かったのか: メディアと民衆・指導者編】レポート

【日本人はなぜ戦争へと向かったのか: メディアと民衆・指導者編】
NHKスペシャル取材班 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4101283753/

○この本を一言で表すと?

 日本がなぜ戦争が向かったのかをメディア・民衆・指導者のあり方の面でまとめた本

○面白かったこと・考えたこと

・メディアと民衆の面で、メディアに対して軍が介入するようになり、メディアに民衆が煽られているという流れがある一方で、民衆の望む方向にメディアが報道せざるを得なくなり、政府も軍も世論を抑えられなくなるような、双方向の作用があり、どこまでも加熱する方向に向かっていったのが印象的でした。

・指導者の面で、「非決定」が政府や軍を含めて上層部の文化になっていて、誰もが戦争すれば負けると思いながら、決めないことで戦争に向かっていく、というプロセスがあったこと、非常時にリーダーシップの欠如が顕著になるとどこまでも流されていくことがよく分かりました。

<第一章 メディアと民衆 “世論”と“国益”のための報道>

“熱狂”はこうして作られた

・新たなメディアとして登場したラジオの速報性に対抗して新聞も号外で速報を流すことが当たり前になり、最も早い情報が望まれる軍、戦争の情報を仕入れるために軍と密に接触して軍に対して配慮する記事しか書けなくなっていったこと、そうすることで各新聞社は大きく部数を伸ばしていったこと、民衆も、反戦記事を書いた朝日新聞の不買運動を起こすなど、メディアの選択肢を奪っていったことなどが書かれていました。

・メディアとして真実を報道することよりも「国益」が重要視されていって真実を曲げる、もしくは軍に不利益な情報を流さないようになっていったこと、軍よりもメディア・民衆のほうが満州権益に熱心なほどになり、政府の方針に対して弱腰と批判するようになっていったこと、信濃毎日新聞で反戦的な記事を書いた記者を辞めさせる圧力をかける在郷軍人会と不買運動などがあり、反戦記事を書けば新聞社が潰されるような流れもでき、ポジティブな面でもネガティブな面でも一つの方向の記事しか書けなくなっていった様子が書かれていました。

・近衛文麿が一九三六年九月からラジオ放送を管轄する日本放送協会総裁になって、ナチス・ドイツを見本にしたプロパガンダを流し、海外で避難されているような情報は流さず、戦争報道で熱狂を作り続けたそうです。

・日独伊三国軍事同盟もメディアや民衆が圧倒的に支持して引けなくなった面もあるそうで、走り始めたら走らせたものも止められないようなところがあったのかも知れないなと思いました。

世論とメディアによる戦意高揚

・メディアが軍に影響されていたところが大きく、軍に随伴する従軍記者を出せる大手が強くなり、小規模なメディアは淘汰されていったそうです。

・メディアはロンドン軍縮会議では軍に反する報道を流し、満州事変では軍寄りの情報を流しましたが、これは「国益論」で考えるとその時々の国益にはかなっていると当時の新聞社は考えていて、特にメディア側としては矛盾はなかったと考えていたそうです。

・軍がメディアに接して方向性を定め、メディアによる民衆が熱狂し、その熱狂を軍もメディアも止められなくなっていった、というのはこの時代にそうなっていったために戦争につながったとも言えますし、この時代とそれぞれの立ち位置から、半ば必然的にこうなっていったとも言えるのかなと思いました。

横並び報道と被害者意識

・メディアが横並びになって過熱報道を始め、満州事変についても関東軍の工作が伏せられていたために「自分たちは正しいことを伝えているのに受け入れられない」という被害者意識が強くなり、過激な意見が強くなった上に新聞社が国際連盟脱退のための共同宣言をするまでになり、メディアは「国益」にとらわれて自縄自縛になっていったそうです。

・言論統制についても、事前検閲だったため、メディアは選択肢が絞られてやりやすい側面もあったそうです。

・新聞社は戦後でも被害者意識を持っていて自身を擁護していたそうですが、戦争に積極的だった面などは採り上げられず、戦後も隠されていたそうです。今に至ってもそういった体質は残っているのではないか、と締められていました。

ラジオが導いた戦争への道のり

・ラジオの速報性から戦時には重宝されていったこと、ニュースがメインであったこと、新聞が論理性を訴えるのに対し、ラジオは耳から心に訴える特性を持っていること、政府要人や軍人の演説を中継し、情緒的にも訴えていたことなど、ラジオの特性と戦争への利用について述べられていました。

・近衛文麿ら政府の者が天皇神話に寄りかかった演説を何度も行うことで戦意高揚への空気を醸成していったそうです。

・ナチス・ドイツがラジオを活用していて、その手法を日本は徹底的に研究して活用していたこと、前線中継で臨場感を作り出して戦争での勝利を印象づけるなどの手法が使われていたことも述べられていました。

<第二章 指導者 “非決定”が導いた戦争>

開戦・リーダーたちの迷走

・日本では意思決定をできるトップが不在で、だれもが戦争は無茶だと思っていたにもかかわらず、決定を引き伸ばし、陸海軍や政府のトップが集まる連絡会議でも何も決められないまま、ドイツのソ連侵攻があり、陸軍の北部方面志向と海軍の南部方面志向を両論併記した南北進駐に動き、そのまま南部仏印へ進駐してアメリカを決定的に硬化させ、石油の全面禁輸に繋がり、それでも戦争すれば必ず負けるという考えがあったものの、中国撤退などに踏み切るとそれまでの死者に申し訳が立たず、日本は世界的にも威信を失墜するという考えもあり、ついにそのままではままならなくなって決定の期限を切ったことで逃げ場を失い、アメリカ大統領と首相で首脳会談をやるという起死回生のアイデアを出したものの挫折し、誰も譲歩しないままに決定期限になろうとする四日前に近衛内閣が総辞職して投げ出し、改めて勝算を考えて都合のいい数字で計画を作成し、そのままアメリカとの戦争に突入した・・・という流れに身を任せた非決定の仕組みで開戦が決まったそうです。

“非決定”という恐るべき「制度」

・戦争の準備を決定する、というあいまいな計画で、陸海軍と外務省でそれぞれの折衷案の大綱を作成し、対立構造は一九三〇年代から変わらずに続いて、少しずつ軍が進出して、政策が決まるとそれを変更する手続きが大変ということで、そのまま続行されるという流れに任せた動きが続いていたようです。

・陸軍・海軍は戦争のために組織を維持しているという存在目的から、「戦争をしない」という意思決定が不可能になっていて、得たものを手放せず、モノがないから戦争をせざるを得ない、と追い詰められていったそうです。

・陸軍と海軍のように官僚組織が肥大する状況は戦後も変わらず、「省益あって国益なし」という状況は続いており、官僚を各省にまたがって異動させるような仕組みでもない限り、何度も同じようなことを繰り返すだろう、として締められていました。

アメリカの誤算

・日本が特異な考えの国というわけではなく、その特殊性より状況がどうであったか、ということを中心に論じていました。

・世界大恐慌があり、各国が自給自足圏を確保する動きをする中で、日本は満州にその活路を見出して動いていたこと、中国に対する自国が優れているという傲慢さで中国人にどう思われるかを考えられずに反発を受けていていたこと、日本をアジアの安定勢力とする流れがあったものの、中国での日本の残虐行為が報道機関に西側諸国に伝えられるようになると世論が変わっていったようです。

・日中戦争はすぐに決着がつくという想定で始められ、泥沼化していくと人が死ぬほど引けなくなっていく「死者の負債」にとらわれて終わらず、アメリカとの開戦もその流れで決まったのだろうと述べられていました。

・アメリカでは石油全面禁輸措置で日本が折れるだろうと想定していて、日本への軽視と相俟って、それが戦争につながるとはあまり想定されていなかったそうです。

一九四一年、開戦までのアメリカ

・アメリカでは日本の弱点が石油だと大正時代から認識していて、日本の石油の消費量や所蔵量等を把握し続けていたそうです。

・アメリカでは日本は中国に弱い者いじめしている国というイメージがあり、その反面で親中感情があり、日独伊三国同盟で決定的に日本に対するイメージが悪化したそうです。対日政策は対独政策に比べて優先度が低く、日本への石油輸出制限も敵に対する政策というより中国との戦争に使われるという道義的な意味合いが強かったそうです。

・日本が石油の確保に困っていたことは把握されていたものの、それが英米との戦争につながるとは考えられておらず、ヨーロッパに注力するために日本との戦争を回避したい気持ちのほうが大きかったと考えられるそうです。

・アメリカでも日本でも何度もあった見誤りが積もって決裂に繋がったとも考えられるそうです。

日米開戦史を再考する

・外交史的に見ると、日本もアメリカも互いとの戦争を避けたい理由は十分すぎるほどあり、特にアメリカでは孤立主義の流れから「なぜ遠いアジアで血を流す必要があるのか」といった感情もあったそうです。

・米英間でもアジアでの利害の不一致があり、イギリスのアジアへの戦力拠出要請に対してアメリカが応えないなどの相違があったそうです。

・社会史的に見ると、戦前昭和日本はアメリカ化が進んでいて、二大政党制、デパートなどを始めとする大量消費社会、アパート等の建築物、映画によるアメリカ文化の浸透、英語学習の普及、などが見られたそうです。

・政治史的に見ると、国民の戦争支持と、政治家のナチス・ドイツへの傾倒、三国同盟の締結、真珠湾攻撃成功による国民の支持などがあり、開戦時の戦争目的「自存自衛」というわかりにくいもののためにアメリカと戦うという、誰も本当とのところがわからないような状況で戦い続けていたそうです。

太平洋戦争開戦前の「日本と日本人」

・国全体に広まる欧米への不満、満州事変からの満州国建国の成功が続き、満州の共同統治も認められずに国際連盟の脱退が決まり、中国での反日排日抗日の活動もあり、戦争を肯定する雰囲気が醸成されていったそうです。

・陸軍は「陸軍あって国家なし」のまま突き進み、最初は長州閥に対する派閥打破を目指す一夕会から更に陸軍を拡大する動きに繋がっていったそうです。

・軍縮に賛成する新聞が張作霖爆殺で陸軍を責めるのを目にしてメディアを味方につける教訓を得て、メディアの情報源になることで統制していったそうです。

・戦略を持たない外交、国家より組織の利益を考える巨大組織、大衆に迎合するメディアなど、様々な要因が日本を戦争に向かわせたと締められていました。