【真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960】レポート

【真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960】
池上 彰 (著), 佐藤 優 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4065235340/

○この本を一言で表すと?

 人物を中心とした戦後左翼の歴史の本

○よかったところ、気になったところ

・バックボーンの異なる著者2名が対談形式で年代ごとに日本の動き、世界の動きとともに左翼の当時の人物について語っていて、情報量も多く面白い本だと思いました。

・名前だけは教科書や近現代史の本で見たことがある左翼の人たちが具体的にどのような活動をしていたのか等が詳しく紹介されていて興味深かったです。

・続刊が出るみたいなので、このシリーズは追いかけてみたいと思います。

序章 「左翼史」を学ぶ意義

・左翼を理解しないまま、左翼の提唱することに惹かれて左翼に染まっていく人たちが増えそうなことを危惧して、左翼の歴史を知ることで冷静に判断できるようになるだろうという趣旨で、この左翼史を出版するように決めたそうです。

・「左翼=リベラル」と考える人が多いそうですが、本来は真逆のものだとされていましたが、用語の混乱からか、自由主義者を意味するリベラルが自由主義・新自由主義に反対する人たちの通称になっていって、そう考えることが多くなっていったのかなと思いました。
少なくともアメリカの政治を見る時に「左派=リベラル」ということは一般的になっていると思います。

・左翼が理性を信奉することから、左翼であれば武器でも原爆でも所持して問題ないとする基本的な左翼と、戦争に反対し、反戦平和を基本理念とする日本の戦後左翼が大きく方向性が異なっていったというのは、確かに日本の大きな特徴だなと思いました。

・共産党と社会党・社民党の違いがわからない人が多いという話が出ていましたが、むしろ社会党・社民党が社会主義政党だという認識のある人が少ないように思いました。
特に1990年代以降では社会主義的なイメージがあまりなく、まだ社会主義政党だったのかと逆に驚きました。

・日本共産党の機関紙「赤旗」の話は面白かったです。
結構いろんな本で参考資料として紹介されていて、すごい取材力だと思いますが、マルクス主義に詳しい人にはインタビューしない傾向等は興味深いなと思いました。

第一章 戦後左派の巨人たち(一九四五~一九四六年)

・共産党幹部が戦後一斉に解放されてから、連合国軍を解放軍と規定してしまったことで日本共産党がそれを行動綱領にまで定めてしまったこと、アメリカの共産党では日系アメリカ人なども参加していて、ルース・ベネディクトが日本に行ったことがないまま書いた「菊と刀」も共産党に所属していた日系人の考えを反映してしまっていること等、戦後すぐの興味深い事実が述べられていました。

・戦前から同じマルクス主義者でも「講座派」と「労農派」に分かれていて、講座派が日本共産党に、労農派が日本社会党に繋がっていったそうです。
「日本資本主義論争」という論争があり、講座派は日本はまだ資本主義にすら至っていないのだからブルジョア革命から社会主義革命を起こす二段階革命論を提唱し、労農派は明治維新の時点で不完全ながら欧州のブルジョア革命に相当していて、革命を二段階で行う必要はないと提唱していたそうです。
ルース・ベネディクトのヒアリングした日系アメリカ人が講座派よりだったこともあり、初期の占領政策は農地改革や財閥解体など、まず成熟した資本主義を目指した点で講座派の考えに一致していたそうです。

・ソ連が社会主義を前面に掲げずに人民民主主義を掲げた理由として、社会主義に限らず広範な人民戦線を構築し、国境の外側に人民民主義の国家を成立させて緩衝地帯を作っていったという話は興味深いなと思いました。

・共産党系のマルクス主義者が戦時に転向していたのに対して、労農派の非共産党系のマルクス主義者は転向せず、本の出版や食料の生産などで自力で食料を確保していくような行動力のある人達だったそうです。
また、論文が検閲されて伏せ字だらけになってしまうから、取り調べの供述では検閲がないことを利用するなど、面白い考えを実行しているなと思いました。

第二章 左翼の躍進を支持した占領統治家の日本(一九四六~一九五〇年)

・なぜ共産党のトップが「書記長」なのかという話で、人民戦線などの広範な人たちの集まりでもその事務機能を押さえれば組織全体を掌握できること、スターリンも元は事務局のトップで多くの情報が集まる部署にいる強みを活かして党内で成り上がっていったことなどは興味深いなと思いました。

・「共産党的弁証法」という考え方で、良い戦争と悪い戦争、良い核兵器と悪い核兵器、良いスキャンダリズムと悪いスキャンダリズム、のように、共産党が有するなら良くてそれ以外は悪い、という二分論があり、それを欺瞞的リアリズムと評価していましたが、確かに自分たちに都合が良すぎる二分論だなと思いました。

・共産党の武装闘争を担う「山村工作隊」や「中核自衛隊」などがあり、毛沢東を模倣して実際に訓練を進め、「栄養分析表」「球根栽培法」という爆弾の製作法の本をつくり、レーニンの革命思想に従って少数の覚醒者がまず行動を起こすと考えていた、革命闘争路線の人たちがいて、よく書店で見かける歴史家の網野善彦氏も山村工作隊の指揮を執っていたというのは驚きでした。

第三章 社会党の拡大・分裂と「スターリン批判」の衝撃(一九五一~一九五九年)

・「55年体制」が、まず社会党の拡大があり、それに対抗するために結束して自由民主党ができた、という流れなのは興味深いなと思いました。
大学でも経済学はまずマルクス経済学が人気でそれ以外は傍流扱い、そして共産党の暴力路線は忌避されて平和革命路線の社会党の人気が高まっていったという流れも面白いなと思いました。

・1956年のフルシチョフによるスターリン批判が世界中に衝撃を与え、日本でもスターリン批判に対する考察が幅広くなされ、知性の活性化と見られる現象が起きたそうです。
スターリンの死の直後に日経平均が1日で1割下がり、アメリカのニューヨーク市場でも暴落が起きた話は面白いなと思いました。

・中国では何でも七対三で、毛沢東のスターリン評価も七対三で肯定的な評価が上回る、鄧小平の毛沢東評価も七対三で肯定的な評価が上回るとしているのは興味深いなと思いました。

第四章 「新左翼」誕生への道程(一九六〇年~)

・安保闘争では共産党よりも社会党のほうが積極的(闘争を抑制しない)で、社会党からより過激な新左翼が生まれていったという話は初めて知りました。

・社会党の中の社会主義協会が思想や政策の中心になっていて、議員になる人のほうが傍流だった時代が続いたというのは面白いなと思いました。

・自身の知っている時代の社会党の中心になっていた政治家が「右翼社民」で、現在の社民党も「右翼社民」だというのは、当時の社会党が社会主義政党のイメージがなかったことと符合しました。

○つっこみどころ

・異なるバックボーンの2名の対談方式で左翼・左派の代表的な人物やできごとに触れられていて内容も盛りだくさんでしたが、どこか著者2名の考え、レッテル、偏見などで典型的な像を描き出していて、全体像や客観的な事実とは離れているようにも思えました。

・この本は左翼の歴史ではありましたが、レーニン主義の過激な部分以外の、マルクス主義によってどのように日本を変えていく、というところの考え方があまりわかりませんでした。
闘争路線はマルクスの著作の中でもごく一部に出てくるくらいだと思いますが、実際の当時の左翼もそこに集中していたということでしょうか。

タイトルとURLをコピーしました