【古代マヤ文明 栄華と衰亡の3000年】レポート

【古代マヤ文明 栄華と衰亡の3000年】
鈴木 真太郎 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121026233/

○この本を一言で表すと?

 マヤ文明について最新の研究で判明したことやその手法を紹介する本

○よかったところ、気になったところ

・古代マヤ文明の研究がどこまで進んでいるのか、どういった手法によるどのような結果から当時がどのような社会であったと考えられるのか等、発見されたものやその解析、集まった情報からの推測について説明されていました。
まだまだ謎が多いようですが、様々なことが分かってきて、改めて問いかけられる謎が増えているそうです。

・コラムで本文に関連する内容や事例などが紹介されていて、それぞれ面白かったです。

序章 マヤ文明研究の歴史

・スペインが新大陸を征服した16世紀の破壊とわずかな研究、スペイン植民地として安定した17世紀の研究、啓蒙主義の影響を受け、考古学的な研究も始まった18世紀、スペインの支配から脱して広い地域に研究が広がった19世紀の、現代の研究に至る流れが書かれていました。

第1章 考古学と形質人類学

・社会、文化とそれを構成した人間の肉体そのものを切り離さずに、考古学と形質人類学の双方の知見を考えるバイオアーキオロジー(生物考古学)という比較的新しい種類の領域から、マヤ文明への研究が進んだそうです。
古人骨から栄養状態や生活様式等も把握でき、当時の文化なども類推できたようです。

・コラムでマヤ文明の時代区分について書かれていました。
紀元前13,000~7,000年頃のアメリカ大陸最初の人類から大陸全域に進んでいく「パレオ・インディアン期」、紀元前7,000~2,000年頃の狩猟生活中心から定住傾向を強めていく「古期」、紀元前2,000~紀元後250年頃の古代マヤ文明の黎明期で王政なども成立していく「先古典期」、250~950年頃の古典期マヤ文化が花開き、中央集権国家の成熟や崩壊が繰り返された「古典期」、950~1500年代のアステカ等の強力な国家が生まれ、マヤ文明にも波及してからスペイン征服までの「後古典期」に区分されるそうです。

第2章 南部周縁地

・マヤ文明の南部周縁地の中でも現在のグアテマラ南部の地域は先古典期から都市や石像彫刻等が作られ、古典期の巨大遺跡も見つかっているそうです。

・現在のエルサルバドルの地域では遺跡や土器、そして噴火の形跡などもあり、また遺跡からキャッサバやトウモロコシの畑の跡も見つかっているそうです。
噴火で死亡した動物の死体はあっても住人の遺体が見つからず、建物が損壊した形跡もないため、危機対応ができていたと考えられているそうです。

・現代のホンジュラスの地域では学術と芸術の都コパンが存在し、長期にわたって王朝が続き、どのような王がどのような事績を残したかまでいろいろわかっているそうです。
日本人のマヤ文化の研究はコパンのプロジェクトから始まっていて、ここで学んだ知見を他の地域で活かしたそうです。

第3章 人は動く

・人骨のストロンチウムと酸素の安定同位体の比率を「同位体署名」として、地域ごと・遺跡ごとのベースラインデータが作成され、それによってどこから来た人なのか等が識別できるそうです。

・コパンは多民族集落で様々なところからの移民がコパン在地民と住居を共有し、暮らしていた形跡があるそうです。

第4章 グアテマラ高地、マヤ王国の終焉

・グアテマラの南縁より北のグアテマラ高地で紀元前1,200年前から都市が存在し、水道の跡のようなものも発見されているそうです。
石碑で王権が存在していたであろうことも確認されているそうです。
紀元後1,200年ころには王国が分立して覇権争いをしていて、スペイン襲来後は一部の部族がスペインと組んで対立部族の王国を滅ぼしていったそうです。
スペインによる征服に最後まで抵抗した英雄の名は今も残って尊敬されているそうです。

・コラムでグアテマラの首都グアテマラシティー近隣にある古代遺跡が都市部拡大で破壊され、放置されていて遺跡保護すらも難しい状況だと書かれていました。
国家としての発展と、文化の保護は対立しやすいですし、前者の要請が大きければ後者は難しそうだと思いました。

第5章 古代の食卓

・ニシュタマルという石灰水でトウモロコシの粒を下茹でする調理技術が、古代から現代に至るまで中央アメリカ社会を支える偉大な発明だと讃えられていました。
このプロセスで栄養価が大きく上昇し、吸収しやすくなり、美味しくなり、粉末化して長期保存も可能になるそうです。

・古代マヤ文化圏では人骨の保存状況が悪いため、残りやすい歯牙を研究対象とすることが多いそうです。
虫歯の状況で食生活等がわかり、損耗具合でもどのような環境にあったかが分かるそうです。

・見つかった古人骨から幼少期の栄養状態が分かるそうです。
歯牙と併せて調査することでその見つかった集落の状況を推測することが多いそうです。

第6章 ペテン地方

・グアテマラ北部、ベリーズ、メキシコ北東部の領域のペテン地方でも様々な遺跡や石碑が見つかっていて、解読も進んでいてどの都市が興隆して支配的だったのか、いつ頃滅びたのか等が分かっているそうです。
女王が支配していた時期もあったそうです。

・コラムで石碑の読み方について説明されていました。
石碑の文字で年月日を表す文字が分かっていて、マヤ暦のいつのことを書き残しているかが分かるそうです。
地方ごとに異なる文字も多いそうなので、解読は大変そうだなと思いました。
マヤ文字は日本語のように表意文字と表音文字で構成されているそうです。

第7章 古代マヤにおける戦争

・1950年代くらいまで、マヤ文明に戦争は存在しなかったという考え方が一般的だったそうですが、熱帯雨林が古代遺跡の全容を隠していてそれに気づかなかったことと、先入観によるものだそうです。

・古人骨の状況から当初は残酷な方法で殺されたり、まとめて虐殺されたり、捕虜がまとめて儀式の人身御供になったというような分析がされたらしいですが、死後に土中でついた傷や骨の紛失、死後だいぶ経ってから動物にかじられた跡などがほとんどだったそうです。

第8章 灼熱のユカタン半島を行く

・メキシコ北東部のユカタン半島でも、大部分が海岸部で都市国家がいくつも現れ、巨大な遺跡が数多く残っているそうです。
ユカタン半島は河川や湖沼が極端に少なく、セノーテという地下の泉が古代から活用されてきたそうです。

第9章 肉体は文化を語る

・古代マヤ文明では歯を研削したり、孔を開けて石をはめ込んだりする事例が多く、それらを分類して研究しているそうです。
孔を開けるための専用な器具があり、高度な技術を持った専門家によって施術されたと考えられているそうです。

・頭蓋骨の形が時代や地域に寄って異なるそうです。
発見された土偶などでも子供の頭に板を当てて頭蓋変形させる習慣があったと分かっていて、スペイン征服時にもその習慣はあったそうです。
壁画に描かれた神の姿も頭蓋変形された後の頭部で描かれていて、神に近づくこと、健やかに生きることを願ってそうされていたと考えられているそうです。

○つっこみどころ

・地図が少なく、出てきた地名の場所がどこにあるのか章の最初のページや本の最初の全体地図を何度も見返して確かめる必要があり、読みづらく感じました。途中にも該当箇所の拡大地図があればよかったです。

・挿絵の絵や写真が見づらく、文章で説明されている内容を確認しようとしても分からないことが結構ありました。拡大して掲載してほしかったです。

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