【疫病の日本史】レポート

【疫病の日本史】
本郷 和人 (著), 井沢 元彦 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4299008502/

○この本を一言で表すと?

 日本史の中での感染症に関する対談の本
 

○概要・考えたこと

・本のタイトルが「疫病の日本史」ですが、本文では疫病ではなく感染症で通されていました。
「疫病と感染症の違い」でググると北里研究所の2002年10月10日の記事「疫病から感染症へ」がトップに出てきましたが、「疫病→伝染病→感染症」と、原因が特定できた順に呼び方が変わってきたようです。
「疫病」と呼ばれていた時代以前から扱っているアピールなのか、参考文献で「感染症の世界史」「感染症の近代史」などを挙げているのでそちらとのタイトルかぶりを避けたのか、少し気になりました。

・序章から第3章までの4章で、対談後の著者の文章の順番が交互になっていました。
著者同士が対等であるという主張なのかなと思いました。

・対談形式の文章と、それを受けての著者2名の文章がリンクしていて読みやすい形式になっていたと思います。

・この本はお互いの意見を認め合う2人の著者による対談形式の本でしたが、対立する著者同士の対談形式の本なども面白そうだと思いました。
まとまらなさそうにも思いましたが、読み応えがありそうな気がします。

・速水融氏の歴史人口学についてや、参考文献の各種書籍など、かなり他の研究者の文献にあたっているなと思いました。

序章 感染症は、いかにして日本に入ってきたのか

日本の海外との交流と国内の感染症の拡大がリンクしていて、交流していた時期としていない時期での感染度合いについて論じられていました。

第1章 日本人は疫病に強い民族なのか?

・日本の神道からくる「穢れ」を避ける考え方が日本人の衛生観念につながっていると論じられていました。

・天皇家の儀式が全て農耕儀式で、動物の血を流したり殺したりする儀礼がない、というのはなるほどと思いました。

第2章 感染症の日本史

・日本の三大疾病「結核」「脚気」「糖尿病」の内、脚気は感染症ではなかったことが日露戦争の後くらいまで分からなかったこと、日本人のインスリン濃度が低いために糖尿病にかかりやすかったことなどが論じられていました。

第3章 日本の感染症の歴史から何を学ぶか?

・海外との交流を閉ざしていた時期だったためにペストが日本で流行しなかったこと、スペイン風邪の事例とコロナウイルス感染症の事例でリンクすることなどが述べられていました。

○つっこみどころ

・井沢元彦氏は歴史研究者を「資料絶対主義」として批判し、本郷和人氏もその批判に賛成していますが、資料の軽視と想像・妄想による安易な因果関係の肯定に繋がっているように思いました。

・本郷和人氏の友人ウィリアム・ウェイン・ファリスの天平の疫病大流行の研究が何度も挙げられていますが、P.149で正倉院文書の当時の正税帳に基づく推計だと書かれていました。
分母と分子のそれぞれを検証せずに総人口の25~30%が死亡したという結論を出しているような気がします。

・国家神道は本来の神道が異なる、ということが第一章で主張されていましたが、国家神道の成立過程は伊勢神道と出雲神道の論争の後で築かれたもので、現在の神道にも大いに影響を与えていると思います。
キリスト教の聖書にあたる書物が古事記だというのは飛躍し過ぎだと思いました。

・孝明天皇暗殺説、なんでも神道に帰結させる内容など、因果関係がありそうというだけで、全てが繋がっているように論じているところがかなり気になりました。
思い込み・空想・妄想を述べる人を歴史家と呼ぶのにはかなり抵抗があります。

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