【〈群島〉の歴史社会学 小笠原諸島・硫黄島、日本・アメリカ、そして太平洋世界】レポート

【〈群島〉の歴史社会学 小笠原諸島・硫黄島、日本・アメリカ、そして太平洋世界】
石原 俊 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4335501331/

○この本を一言で表すと?

 太平洋の群島について、歴史の流れの中でどのような存在だったかを描写している本

○よかったところ、気になったところ

・群島について、世界史や日本史に関する本の中で何度も触れられている内容を読んだことはあるものの、あくまで周辺の中心世界に付随するおまけのような扱いでの内容しか読んだことがなく、太平洋の群島でどういった歴史があったのかについて、詳細に触れることができ、新鮮に思いましたし、興味深くも思いました。

・群島の存在とその意味が、世界の技術や文明の発展で変遷していき、その狭間で自由な空間になりつつも状況が変わればその自由が失われるなど、異なる独自の世界であり、また世界は繋がっていることがより実感できたように思いました。

序 群島の想像力

・群島が辺境であるという単純な見方だけではなく、多面的な存在であるとして、複数の視点の群島に対する言説が紹介されていました。
時代によっては開拓先としてのフロンティアであったり、奴隷的な身分から逃れる先としてのアジールだったり、立場によって見方が異なるのは興味深いなと思いました。

・イギリスや日本を「疑似大陸」として、自分たちの足元も島であることを忘れてしまっているという表現が興味深いなと思いました。
島の定義によっては大陸も島ということになりそうですが、群島と比較して自分たちの住むところは内地だと考える意識など、あまり誰もが自覚していないことだなと思いました。

第1章 世界市場と群島のエコノミー―海のノマドの自主管理空間

・大航海時代が海賊の時代でもあって、ある意味民主的にトップが決められる海賊船が多かった時代から、19世紀になって海賊船の取締が強化され、海賊船の代わりに群島が自主管理空間となっていった、という流れは興味深いなと思いました。

・特に太平洋を航海する船舶で待遇の悪かった船員が、経由地としての群島で脱走して群島に居付き、群島で新たな生活を始めるケースが多くなり、ビーチコーマーやカナカと呼ばれる現地人になって、新たな経済圏を作っていったというのは、文字通りそれらの人たちにとっての新天地になったのだなと思いました。

第2章 主権国家と群島のエコノミー―補足される海のノマド

・小笠原諸島ではビーチコーマーやカナカが経済圏を作り、ペリーらの海外進出の拠点になっていて、ペリーによって主権行使の対象となっていながら、日本の開国で重要性が薄れ、日本が併合に向けて移住や管理を開始し、1876年には日本が実質的に併合に成功したという流れは、今では当たり前に東京都の一部と考えられている認識とギャップがあって興味深いなと思いました。

・ジョン万次郎の経歴が詳細に紹介されていました。
漁船で漂流して無人島で生き延び、アメリカの捕鯨船に救助されて船員になり、アメリカの上級の学校まで通って航海測量や天文地理学などを修め、金山鉱夫になって資金を稼いでホノルルに渡り、捕鯨船に便乗して日本に戻った、というなかなか冒険記的な経歴で、日本に戻ってくるまでのエピソードは有名だなと思いました。

・ジョン万次郎は近代日本に関する本や歴史小説などでよく名前は登場するものの、通訳以外に特に何かを成し遂げたような描写がどの本にもなく、不思議に思っていました。
幕府で重用され、利用された後は閑職に退けられ、群島へ捕鯨事業で経済進出して引き揚げられ、時流に乗れなかった人物だったようです。

・小笠原諸島で主導的な立場を築き上げたピーズが、アメリカが小笠原諸島を領有すると宣言してアメリカに否定され、日本の懐柔の対象となり、その懐柔が実施されようとしたときには失踪していたという小笠原諸島支配の動的な流れは興味深いなと思いました。

第3章 帝国の<はけ口>と<捨て石>―入植地から戦場へ

・八丈島出身の玉置半右衛門が、大工として小笠原諸島への移民団に参加し、公共事業の大量受注とアホウドウリの乱獲で財を成し、大東諸島の開拓まで行って成功したことを始めとして、南洋の開発が大いに進んだそうです。

・19世紀後半には小笠原諸島の人口が数十倍に増加し、砂糖の生産額が激増し、20世紀前半には砂糖から蔬菜の生産に移行して第二次世界大戦の戦況悪化まで空前の経済的繁栄を迎えたそうです。

・20世紀初頭からは無人島だった硫黄諸島への入植も開始されたそうです。硫黄諸島では小作人が半永続的に厳しい管理を受け、収奪され、債務を抱えさせられていたものの、容易に収穫できることや、家畜を放置していても飼料が自然に溢れているために勝手に育つこと、水産物の獲得が容易であったことから暮らしは楽だったそうです。

・ドイツが米西戦争で敗北したスペインからマリアナ諸島、パラオ諸島、カロリン諸島を購入し、ミクロネシアの大半を領有していたこと、第一次世界大戦で日本がドイツ領の奪取に成功したこと、ヴェルサイユ講和条約の結果、国際連盟のC式委任統治領として日本の統治下にあることになったことは初めて知りました。
日本は第一次世界大戦で中国の青島半島を獲得したことくらいしか知らなかったのですが、それ以外にも大きな成果を得ていたのだなと思いました。

・1944年以降の南洋で日本がアメリカに押され続けていた時期から終戦、終戦後のことについて、数人のオーラル・ヒストリーを含めて説明されていました。
太平洋戦争について解説する本などでは、いつどの島が米軍に占領されたか、軍隊・民間人にどれくらいの被害があったかなどには触れられていましたが、当事者の視点で語られることはなかったので、新鮮に思いました。

第4章 冷戦の<要石>と<捨て石>―占領と基地化・難民化

・戦後、小笠原諸島や硫黄諸島の住民は強制的に日本本土に引き揚げられ、内地で暮らすことになったこと、その内地での暮らしぶりや小笠原諸島・硫黄諸島の軍事基地化などについて述べられていました。

・1968年6月に小笠原諸島・硫黄諸島の施政権が日本に返還され、米軍が完全に撤退し、小笠原諸島への帰還が許されたものの、硫黄諸島は海上自衛隊と米軍沿岸警備隊の駐留が継続し、元島民の帰還は許されず、小笠原諸島と硫黄諸島の住民の扱いに差があるまま現在に至っているそうです。

・米軍の沖縄の軍事基地化に資金・労力がかかり、小笠原諸島にかけることができなかったおかげで、戦後から施政権返還まで住民もいないまま放置されたために環境が戻り、エコツーリズムの対象となり、世界自然遺産登録にまで至ったというのは興味深い流れだなと思いました。

結 地政学を超える系譜学へ

・群島が辺境にある別世界として独自の経済圏・世界を築き上げる時代があり、その後軍事的な拠点として重視され、戦後は帰還できない難民などの問題を抱えていることが総括されていました。
第1章で描写されているような自主管理空間としての群島より、現在の群島のほうが辺境としてあまり重視されない存在になっているのではと、個人的に思いました。

○つっこみどころ

・第3章で小笠原諸島・硫黄諸島などが過大な人口のはけ口になったと説明されていましたが、数千人の規模で人口のはけ口というのはあまりはけ口としての意味がないように思えました。
移住先の選択肢であったことは確かだと思いますが、その効果を過大視しているように思えました。

・第3章以降で小笠原諸島・硫黄諸島の住民がひどい目に遭い、元硫黄諸島の住民は今なおひどい目に遭い続けているという描写が続き、東日本大震災の原発事故で福島の人たちが帰還できないことと重ねられていましたが、研究対象に感情移入しすぎて、それ以外のひどい目に遭った人とどう違うのだろうかと考えさせられました。
故郷に戻れないということを過大視しているようにも思えますし、見方が不公平であるような印象も受けました。

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