【トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち】
藤原 辰史 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121024516/
○この本を一言で表すと?
トラクターの歴史、歴史上の位置づけ、思想的な位置づけ等について述べられた本
○この本を読んで興味深かった点・考えたこと
・トラクターが生まれた技術的な背景や歴史上の背景、トラクターに対する見方の変遷や思想の変遷などが様々な文献から紹介されていてよかったです。
ところどころ当時の人たちの意見や歌、説話なども紹介されていて地域・時代の雰囲気も伝わってきました。
・世界でも日本でも、トラクターの歴史の中でトラクターによる障害や事故の発生が裏にあったことが数字とともに述べられていて印象的でした。
第1章 誕生
・トラクターが生まれた歴史的な背景、技術的な背景が書かれていました。農業に馬を使わないことで、家畜を農業に使用しなくなり、家畜の糞を肥料にできなくなることから化学肥料が大量に必要になること、馬の飼料の代わりに燃料が必要になることが特徴として挙げられていました。
・蒸気機関の発明から、最初は蒸気式のトラクターが開発されたそうです。
・事故も多かったそうですが。実用に耐える内燃機関式のトラクターを生み出したフローリッチがトラクターでは成功できずにその技術を他企業に売ったこと、フローリッチはその後洗濯機を開発して富裕になったという話が書かれていました。技術で成功した人間はいろいろ応用が利くという事例だなと思いました。
第2章 トラクター王国アメリカ
・T型フォードで自動車市場のシェアの大部分を獲得したフォードがトラクター市場にも進出し、その製品であるフォードソンがシェア77%を占めるに至ったことが書かれていました。
ただ、フォードが農機具メーカーではなかったために、トラクターに接続する農機具は開発しておらず、他社製の農機具を取り付けたフォードソンの事故率が高く、人殺しと呼ばれるまでになっていたことが書かれていました。
・IH社がPTO(パワーテイクオフ)技術を開発し、トラクターの動力を接続した農機具に伝えられる仕組みを作り、ディアモール社も新たなトラクターを開発してフォードを追い抜いて行ったそうです。
・フォードもハリー・ファーガソンと組んでフォード=ファーガソン型のトラクターを開発し、シェアの20%を取り戻したそうです。
・トラクターが世に出始めた頃、家畜を使った農業から移行する時代に積極的に取り入れる層と受け入れられない層で軋轢があったそうです。
・牧場で育てた飼料ではなく別に燃料を購入しなければならないこと、肥料も家畜由来のものが使えなくなるので購入しなければならなくなること等について拒否反応も当時あったそうです。
それでも若い世代はトラクターに憧れを持っていたという話も書かれていました。
第3章 革命と戦争の牽引
・ソ連成立直後からレーニンが共産主義とトラクターを活用した大規模農業を結び付けて壮大な計画を立て、実行しようとしていた話が書かれていました。
女性が働けるアピールにも繋がっていたようです。
・トラクターを購入し、メンテナンスするMTSという組織を創設して運用がスタートされたこと、実際にトラクターをメンテナンスする技術等がないものが多く、輸入したトラクターの半分も実用可能にできなかったことなど、理想と現実の差が激しかったことが書かれていました。
・以前読んだことのあるウクライナの歴史を絡めた「ウクライナ語版トラクター小史(邦題:おっぱいとトラクター)」が取り上げられていて、ソ連支配下で意図的に飢餓状態にされたりトラブルのあったウクライナにおけるトラクターの位置づけ、トラクター技師の誇らしい感覚とソ連からの差別など、トラクターを含めて感情的な感覚が書かれていたことが述べられていました。
第4章 冷戦時代の飛躍と限界
・アメリカではトラクターの需要がどんどん縮小されていきつつも、トラクターに憧れを持つ人たちが芸能人を含めて存在していたこと、ソ連や東欧ではスターリンの死後にMTSが解体されたものの、トラクターの普及は進んでいったこと、ヴェトナムや中国でもソ連経由でトラクターが普及していったことなどが書かれていました。
第5章 日本のトラクター
・日本におけるトラクターの歴史がまとめられていました。
・広大な土地を効率的に活用するという各国のトラクター利用のスタイルとは異なった形で普及し、最初は外国製の製品を輸入するだけだったのが、民間で国内産のトラクターを生産し始めたこと、日本の国土に合った歩行型のトラクターの開発が進んだことなど、日本の特色がクローズアップされていました。
・大型のトラクターについては満州で使用することを前提に構想されていたこと、建機で有名なコマツが小松製作所だったころに国との結びつきからトラクターの開発に携わり、その技術を活かして建機メーカーとなっていたことが書かれていました。
・岡山県の藤井康弘の小型トラクターとしての耕うん機、島根県の米原清男の様々な用途に対応できるジェネラル・トラクターとしての耕耘機が個人の発案から様々な協力者や支援者を得て市場に出て行ったこと、ホンダが初めてスタイリッシュな歩行型トラクターを発売してプラモデル化までされたことなどが書かれていました。
・日本の農業に合う・合わないで機械化・反機械化論争が起きたことがそれぞれの立ち位置から述べられていました。
・クボタ、ヤンマー、イセキ、三菱農機の現在でも農機メーカーとして有名な4社についても解説されていました。
「ヤン坊、マー坊、天気予報」の歌が1959年からテレビに流れるようになったこと、三菱農機がインドのマヒンドラ&マヒンドラが3分の1の資本参入をしたことで三菱マヒンドラ農機になったことなど、興味深いなと思いました。
終章 機械が変えた歴史の土壌
・トラクターが①人間を自由にしたのか②20世紀の政治にどう関わったのか③そのコストは十分に報われたのか、について結論として述べられていました。
・①については、労働者を重労働から解放した一方で、高額な初期投資とその返済、継続的な燃料や肥料の購入を要することから新たな拘束が生まれたことを述べていました。
・②については、農業を工業化するというプロセスに関わり、共産政治の根拠にすら関わったものの、企業の思惑や個人の情熱など様々な要因が絡んでいるために一概には言えないことが述べられていました。
・③については、事故や公害に繋がっていること、地面を深く掘り返すことに良い土壌を侵食し、ダストボウルという風化に繋がる現象に関わるなど、社会的費用に見合った成果を出していないのではという考えもあること、今後無人化が進み、また新たな局面になっていくであろうことが述べられていました。