【石橋湛山―リベラリストの真髄】
増田 弘 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121012437/
○この本を一言で表すと?
石橋湛山研究者が書いた石橋湛山寄りの石橋湛山の伝記の本
○面白かったこと・考えたこと
・歴史の教科書や漫画で少しだけ登場しながらも、同時代の他の人とは違う動きをしていて印象に残っていた石橋湛山について、生まれてから亡くなるまでを知ることができてよかったです。
戦前から戦後にかけて意見を変えなかったこと、国内の情勢や国際情勢への鋭い考察はすごいなと思いました。
・石橋湛山が日本が実際に歩んだ歴史とはかなり違う路線で意見を出し続けていたということに驚きました。
全部が全部ともうまくいくかどうかはわかりませんが、石橋湛山の意見が政府に採用されていれば日本の歴史が大きく変わっていたのかもしれないなと思いました。
時代の流れや他国の意図、そもそもの実現可能性などから、石橋湛山が考えていたほどうまくいかなかっただろうとは思いますが、その構想力はとてつもないなと思いました。
・ページ数の割に内容が濃く、読む時間が同じくらいのページ数の新書の倍くらいかかりました。それだけ読み応えのある本でした。
第一章 幼年・少年・青年期
・実の父と育ての親が日蓮宗の法主になった人物で、中学校でクラーク博士から直接教えを受けた先生からアメリカの思想を学び、早稲田大学でプラグマティズム(実利主義)を学んだという背景は、元々素養があったとしても育ちや教育がここまで人物形成に影響するのかと興味深かったです。
・一度東京毎日新聞に入社しながらもすぐに退社することになり、軍隊に入った後で、石橋湛山が半生を過ごす東洋経済新報社に入社することになった流れもなかなか興味深かったです。
第二章 リベラリズムの高揚―一九一〇年代
・一から経済学を英語の原文で学んでいったという努力はすごいなと思いました。
日露戦争以降、日本人が大いに高揚していた時期に、「日米移民問題は人種に対する感情論であるからしばらく放っておくこと、人口から考えてそもそも移民の必要はない」「第一次世界大戦参戦も青島領有も否定」「二一ヶ条要求はすべて反対」「シベリア出兵も反対、むしろボルシェビキを援助」「パリ講和会議で日本が叩かれたことは日本が公明正大の気に欠ける国だから」と時流に反するような意見を述べつづけたのはすごいなと思いました。
第三章 中国革命の躍動―一九二〇年代
・大日本主義が大いに盛り上がる中で小日本主義を提唱し、日本がかなり注力していた満州を放棄すべきだと当時からするとかなり反発が受けそうなことを政治・外交面、経済面、人口・移民面、軍事面、国際関係面の各面で説明しているのはすごいと思いましたし、またなかなかの説得力だと思いました。
・ワシントン会議、山東出兵、満蒙独立論など、日本の歴史のターニングポイントになるところで毎回当時の時流とは異なる独自の意見を出し続けていることも印象的でした。
第四章 暗黒の時代―一九三〇年代・四〇年代前半
・石橋湛山の金解禁論争への関わりは、周りの意見に同調しただけで自身独自の意見ではないかもしれませんが、経済学の勉強をしていたことが大いに活かされたのだろうなと思いました。
・ロンドン海軍軍縮会議、満州事変、二・二六事件、日中戦争、日独伊三国軍事同盟、太平洋戦争など、批判すれば罰されるような事件に対しても批判を続けていたという一貫性もまたとてつもないなと思いました。
・報道統制などがかけられた戦時中でさえも活動を続けて、戦争終結まで活動し切ったという粘り強さにも驚きました。
第五章 日本再建の方途―一九四〇年代後半
・戦後すぐの1945年8月25日に「前途は実に洋々たり」と発言したことは日本史の教科書か図録のどちらかも書かれていた有名な発言ですが、戦前からの発言から真実そう考えていたのだろうなと思うとこの発言のすごさがさらに深まったように思えました。
・ついに政治家として進出し、GHQにも堂々と反論して煙たがられ、排斥されるというところにも、立場が変わっても言動を変えない一貫性を見ることができるなと思いました。
第六章 政権の中枢へ―一九五〇年代
・公職追放されている中でもいろいろ考え、文章を書いていること、朝鮮戦争に対するかなり鋭い考察を見せていることなど、石橋湛山の事態の把握力はすごいなと思いました。
・吉田茂との政権争いの話は、意見を同じくするところと異なるところ、立場の違いなどが複雑に絡んでいて、その中での石橋湛山の動きというのも面白いなと思いました。
常に反骨の人というイメージがありましたが、政府内でもそれなりに頼りにされているところも興味深かったです。
・日本全体で中国を侮っていた戦前の時期から中国を尊重することを提唱し続けていた石橋湛山が日中貿易促進に関わって成果を上げていくところは、一貫性の長年の蓄積の成果を思わせます。
第七章 世界平和の実現を目指して―一九六〇年代
・首相になりながらも病気により二ヶ月で退陣して、それからも日中米ソ関係を良好にすることが世界平和に結びつくとして、中国やソ連に働きかけているところは、老齢にもかかわらずすごい行動力だと思いました。
・石橋湛山が中国でもソ連でも信頼を得ていったことは、もちろん利害関係上のこともあったと思いますが、外交が個人の全人格によって大きく左右されるものだということを考えさせられます。
○つっこみどころ
・石橋湛山を中心に研究した著者だからか、石橋湛山を肯定的に見過ぎている内容になっていて、どれが事実か、どれが文献に書かれていたことか、どれが著者の意見かというのが分かりづらかったです。
同じ時代について触れた他の本には書かれていない内容が多かったので、それだけに客観的に判断したい内容もあり、その点では残念でした。