【激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972】レポート

【激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972】
池上 彰 (著), 佐藤 優 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/406526569X/

○この本を一言で表すと?

 左翼が過激化していく時代とそのプロセスについての対談の本

○よかったところ、気になったところ

・目次の次の掲載されている「新左翼(セクト)の組織系図」が込み入った新左翼の組織分派の歴史がまとめられていて興味深いなと思いました。
複雑な分岐がある中で、後に対立した革マル派と中核派がごく近い存在だったこと、大部分同じで一部が異なるだけだったことは、宗教対立の歴史にも似ているなと思いました。

・ところどころに、事例・歴史の紹介だけでなく、共産党に対する批判・反論が散りばめられているところが面白いなと思いました。

序章 「六〇年代」前史

・前作「真説 日本左翼史」の概要の説明と、社会党が新左翼の傅育器となったことの説明が簡潔に述べられていました。

第一章 六〇年安保と社会党・共産党の対立(一九六〇~一九六五年)

・1960年代前半の社会党と共産党の対立について論じられていました。
社会党の方が活動的で、共産党の方が抑制的だったのは興味深いなと思いました。
1964年のゼネストを共産党が否定したことは存在意義すら問われそうだと思いましたが、章の最後で「自らの組織を維持・拡大するために行った」という補助線を引いて考えると見事なほど首尾一貫しているとされていて、解釈が難しいなとも思いました。

・「日韓基本条約」について社会党・新左翼は阻止に動き、共産党は日本が対米従属している以上関与しえないとして冷淡に見過ごしていたこと、部落差別について社会党は拡大していると主張し、共産党は基本的に解消されていて現在に至っては利権の温床になっているとまでしていることなど、考え方と動きの違いが興味深いなと思いました。

第二章 学生運動の高揚(一九六五~一九六九年)

・学生運動が学費値上げ反対の主張から始まったことは知っていましたが、自分たちの学費ではなく、後輩や今後入学する者の学費についてであり、社会的な運動だったということは初めて知りました。

・東大の安田講堂事件で東大生は途中で抜けてほとんどいなかったこと、革マル派も機動隊突入前日に抜けたことなど、様々な属性の人が集まった闘争での個々の動きが面白いなと思いました。

・日大で体育会が治安維持組織として機能していて「日大アウシュビッツ」と言われるような状態で、現在の体育会系の強い状況にも通じること、大学の大衆化の過渡期で私学が授業料依存であるために定員の何倍も入学させて授業の質が保たれなかったこと等、現代に至るまでの大学の体質がよくわかる話だなと思いました。

・元新左翼の人は「組織力の強い共産党ではない」ということと、能力の高さから日銀や外務省、大蔵省、通産省などで採用されやすかったというのは面白いなと思いました。

第三章 新左翼の理論家たち

・大学だけでなく高校にまで新左翼に影響されていて活動する人たちがいたことや、本屋で火炎瓶製造マニュアルが買えたことなど、身近に新左翼がいる時代というのは現代からすると不思議な感覚だなと思いました。

・革マルの革命の遂行という目的のための暴力は許されるという「革命的暴力論」や、理性で世の中を組み立てられると考えること等について、「人間の不完全さについて自覚できないことが左翼の弱さの根本部分」と佐藤優氏が喝破しているのは説得力があるなと感じました。

第四章 過激化する新左翼(一九七〇年~)

・1970年の安保闘争から新左翼が先鋭化し、投石や放火で警察官が死亡することもあり、爆弾テロの赤衛軍事件が起きるなど、激化する傾向にあったそうです。

・赤軍派の軍事訓練現場を一斉検挙した大菩薩峠事件でメンバーを大量に失い、残ったメンバーが日本初のハイジャック事件であるよど号事件を起こし、赤軍派と本来流れが異なる共産党から分離した京浜安保共闘が合流して連合赤軍ができるという流れは、わずか一、二年で起こったとは思えない急展開だなと思いました。

・連合赤軍結成前後で脱走者二名を殺害した印旛沼事件が内ゲバで初めての同士殺害になり、1971年の暮れから1972年2月にかけてのリンチ殺人事件である山岳ベース事件に繋がったというのは、一度実例ができると歯止めがかからなくなることの典型例だなと思いました。

・PFLP(パレスチナ解放人民戦線)に合流した日本赤軍がイスラエルの空港で無差別乱射した事件は知っていましたが、この日本赤軍のテロがイスラム過激派の自爆テロのルーツになっているという話は初めて知りました。

・新左翼の過激化が進んだことから日本人がノンポリ化したこと、国家権力が新左翼の内ゲバを放置して弱体化を狙ったこと、過激化する一方で官僚化できなかったために現代の政治に適応できなかったという結論は面白いなと思いました。

○つっこみどころ

・対談形式だからか、結論についてある程度納得できるものの、背景や根本的なところが理解しきれないところがいくつかありました。
そこの理解が重要な気がしましたが、感覚的な、何となくという理解で留まってしまうように思えました。
誰にでも理解できるように書くと文量が過大になってしまうからかもしれませんが。

タイトルとURLをコピーしました