【ペルシア帝国】レポート

【ペルシア帝国】
青木 健 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4065206618/

○この本を一言で表すと?

 ペルシアの二つの帝国の発生から終焉までを追いかけた本

○よかったところ、気になったところ

・ハカーマニシュ朝とサーサーン朝というペルシアの二つの帝国とその間をつなぐ地方国家の歴史について歴代の王の行跡を追いかけながら綴られていました。

・人物名や行いに対して著者が頻繁にツッコミを入れていくスタイルが面白く、最後まで飽きずに読めたように思います。

・「ペルシア」という言葉に含まれる概念・幻想と実態の違いを明確にするというコンセプトは興味深く、本全体である程度達成されているように思いました。

・「ペルシア」は「名馬の産地」という意味だそうですが、もともとイラン高原北西部が名馬の産地でそこの民族が南西部に移動して、名馬の産地でも何でもないところがペルシアと呼ばれる地域になったというのは面白いなと思いました。

第一部 ハカーマニシュ朝「帝国(クシャサ)」

・ハカーマニシュ朝の時代のペルシアについてはギリシャの文献でよく載っていてそちらの文脈で語られることが多いそうで、日本でもギリシャ語のアケメネス朝のほうがメジャーですが、ギリシャの文脈で語られるペルシアに対し、遺跡島に残された文献でわかるペルシアは結構違うのだなと思いました。

・ゾロアスター教がペルシア帝国の国教だったというイメージがありますが、時代ごとによって信仰する内容が大きく違っていたということは初めて知りました。

・強大な帝国だったペルシアが更に強大なアレクサンダー三世によって滅ぼされたというイメージがありましたが、よくある帝国末期の衰退があり、負けるべくして負けたのだなとわかりました。

中間期 アルシャク朝パルティアとペルシア州の地方王朝

・紀元前四世紀から紀元三世紀までのペルシア帝国の空白の時代について概要が説明されていました。

・パルティアの貴族が後のサーサーン朝で主要な地位を占めたり血族が王になったりしたのは興味深いなと思いました。

第二部 サーサーン朝「エーラーン帝国(エーラーン・シャフル)」

・サーサーン朝は世界史の教科書だと一時期の地域強国くらいの扱いでしたが、最盛期は帝国と言って問題ないくらい強大な国家になっていたのだなと思いました。

・オスマン帝国でも兄弟殺しや暗殺が頻繁だったようですが、それよりも千年ほど遡るサーサーン朝でも頻繁にあったのだなと思いました。

・その後のイスラーム帝国のイメージが強く、滅ぼされるべくして滅ぼされたようなイメージが有りましたが、ハカーマニシュ朝と同様に帝国末期の衰退があり、それに乗じてイスラーム帝国が進出したこと、サーサーン朝についてはイスラーム帝国の文献がメインの研究対象になるのでそのフィルターがかかっていることなどがわかりました。

○つっこみどころ

・現地名で記載することに反対するわけではありませんが、ギリシャ語の名称など日本人が慣れ親しんでいる名称を表などでは併記してもらえると分かりやすいなと思いました。(アケメネス朝のキュロス二世、ダレイオスなど)

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