【人事の古代史 律令官人制からみた古代日本】レポート

【人事の古代史 律令官人制からみた古代日本】
十川 陽一 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4480073116/

○この本を一言で表すと?

 古代日本の人事制度やそのあり方などについて考古学的な資料などの裏付けとともに紹介した本

○よかったところ、気になったところ

・古代日本の人事制度についてこの一冊で詳しく知ることができ、また古代日本においてかなり整理された人事制度があったということが分かって興味深かったです。

・四等官の「カミ」「スケ」「ジョウ」「サカン」が漢字が変わってもその意味は変わらずに使われていることなど、いろいろな本で漢字が変わっていて、その時代にとっての意味はどうなのか等で混乱していましたが、読みが同じであれば四等官の位置づけがほとんど変わっていないことが分かってよかったです。

第一章 国家と人事のしくみ

・古代日本において、現代の人事評価制度と同じような人事評価が行われていたことに驚きました。
上の上から下の下までの九段階評価や評価項目など、毎年評価され、人事に生かされていたというのは現代よりも徹底されていたようにも思えました。
人事評価がどの程度公正に行われていたか、忖度などはなかったのか等はわかりませんが、それは現代でも同じだなと思えました。

・公正な人事評価制度とは別に、出身などによる蔭位制なども運用されていていましたが、どこからスタートさせるか等が別に定められていることから、出身による教養の有無などでそれなりに妥当だったのではないかとも思えました。

第二章 官職に就けない官人―散位の世界

・官位には就いても官職につけなかった散位について詳しく説明されていました。
官職につけない官職予備軍として、それなりの教養や素養を持った人を育てて維持しておく意味があったようです。

・散位や、官位以前の舎人などの重要な仕事として、写経などがあったそうで、熟練者は引き抜きなどもあったようで興味深いなと思いました。

・「トネリ」と呼ぶ複数の熟語があったことは知っていましたが、使える主人の身位によって違う漢字が使われていたのは初めて知りました。
天皇・皇后・皇太子のトネリが舎人、親王・内親王のトネリが帳内、五位以上の有位者や大臣のトネリが資人、という使い分けだったそうです。

第三章 政争のあとさき

・藤原仲麻呂の乱の前後等の、大きな政争の前後で大きく役職の変動があったことがわかっているそうです。

・刑罰による官職の剥奪で散位になったり、刑罰の実施を免除する仕組みなども紹介されていました。

第四章 平安京と官人制の転換

・山背国と山城国という同じ読みで別の漢字の用語があることは知っていましたが、奈良から京都に京が移って「背」から「城」に変わったというのはなるほどと思いました。

・平安京に移ってから人事制度も変わっていったものの、名称や形式はそのまま残っていて戦国時代にまで同じ官位が使われていることとその由来などが興味深かったです。

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