【ホモ・デウス: テクノロジーとサピエンスの未来】レポート

【ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来】
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4309227368/

【ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来】
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4309227376/

○この本を一言で表すと?

「サピエンス全史」の続編にあたる、未来の姿を考察した本

○この本を読んで興味深かった点・考えたこと

・「サピエンス全史」の最後の章が「超ホモ・サピエンスの時代へ」でしたが、その内容を拡大展開したような内容だなと思いました。
現在に至るまでの歴史的な流れと、現在の技術・これまでの成果等から今後どのようになっていくかを考察していく内容になっていました。
著者の思考実験のような印象も受けました。

・「サピエンス全史」もそうでしたが、宗教に対する信仰心の厚い人からすると劇薬のような内容がさらにパワーアップしていたように思いました。
日本人が読んでも結構きわどい内容が多いように感じたので、キリスト教国でどのように捉えられたのか興味があります。

・「サピエンス全史」のテーマは「虚構」でしたが、この本のテーマは「アルゴリズム」だと思いました。
動物、過去の人間、現在の人間、未来の人間をこの「アルゴリズム」で考えた時にどうであるかが各章で述べられていたように思います。

・ナチスを否定的にではなく、客観的にこういう価値観や論理があったからこそこういう風に行動するのは当然だった、と記載したり、イスラエルから発信しない限りかなりバッシングされそうなことを記述しているのが興味深いなと思いました。

<人類が新たに取り組むべきこと>

第1章 人類が新たに取り組むべきこと

・文字が残され始めたこの3000年の間、人類の三つの大きな問題として飢饉・疫病・戦争が存在し続けたが、ここ数十年ですっかり解決されたわけではないものの人類はこれらを抑えつつあるということが書かれていました。

・飢饉については発展途上国の政府やトップの恣意的な政策で飢餓状態に陥ることはあるものの、どのようにしても避けられない飢饉からはすっかり遠ざかり、疫病については受け入れるしかない原因のわからない避けられない死から、解決できるものに変わり、戦争については壊滅的な死者数のでる戦争はなくなり、戦争で亡くなる人より犯罪の犠牲者の方が多く、それらの合計よりも自殺者の方が多く、糖尿病で亡くなる人が更に多い時代になって、この三つの人類史上の大部分において避けえない解決できない問題から解決可能な課題になったことが述べられていました。

・新たに人類が取り組むべき課題として不死、永続的な快楽、神へのアップグレードが挙げられるとして章が締められていました。

<第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する>

第2章 人新世

・人類が地球の支配者であることが様々な視点から述べられていました。

・大型動物の総トン数でみると、人間3億トン、家畜7億トン、野生の大型動物1億トンという状況だそうです。

・動物に対する意識も、狩猟生活の時代では同格の生物として、農業生活の時代では有神教の下で人間に支配される生物として、科学革命後の時代では神も否定して人間至上主義の下で生活の道具として、見方が変わっていったようです。

第3章 人間の輝き

・人間特有の輝きは何か、ということが農業時代の魂・意識ということも科学革命で否定され、意識そのものもあらかじめ用意されたアルゴリズムに従っているだけだという説が定説になってきていること、感情は他の動物にも存在していて人間と同じようなものであることが述べられていました。

・ドイツの「賢いハンス」という馬が計算できるという20世紀初めに有名になったが、実際は観客の表情等を感知して反応を示していただけだったことを、人間もアルゴリズムに支配されているだけであることの対比として述べられていました。

・宗教という虚構、国家という虚構に縛られて反応する人間は「意味のウェブ」に囚われているだけだということが節の結論として述べられていました。

<第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える>

第4章 物語の語り手

・人間が他の動物と異なるのは、動物は自分の外の客観的なものと自分の内の主観的なものの二重の現実に生きているが、人間はそれらに併せて虚構・物語という共同幻想の三巡の現実に生きているという、「サピエンス全史」で述べられていたことが改めて述べられていました。

・ファラオの時代からブランドや価値観が存在し、それらの対象が変わっているだけで、未来もより強力な虚構が生まれ、その下で生きることになるであろうと先の章で説明することの前書きも書かれていました。

・実際にどうであるかより、紙の上でどうであるかの方が重要であったことの例として、ナチスからユダヤ人を逃したビザの発給が挙げられていました。

第5章 科学と宗教というおかしな夫婦

・科学が宗教を打破してきたという一般的な考え方がある一方で、科学がそれだけでは何もなせないことが多く、価値判断の基準としての宗教を必要とする、という構造もあったことが述べられていました。

第6章 現代の契約

・科学で新たな発見があっても、それが活かされる環境がなければ世に出ることがなく、中世に農民が画期的な発明をしても、投資を得ること、信用を得ることができないこと、現代はそうした環境が整ったからこそ成長していることが述べられていました。

・成長至上主義ともいえる資本主義のあり方を、鄧小平のマルクス主義を修正するような考えやトルコの経済成長をさせているエルドアン率いる公正発展党などを例に述べていました。

第7章 人間至上主義革命

・有神教の宗教が価値観の根源にある状態から、人間の命・情動・欲望を神聖視する人間至上主義が台頭することで個人の感情や考えが宗教より上に立つものになっていったこと、宗教側も人間至上主義を通して意見を主張するようになっていったこと、人間至上主義も社会主義的なものや進化論的なものなど分裂していったことなどが述べられていました。

<第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる>

第8章 研究室の時限爆弾

・人間が自分の意志で選択したと考えていたことが、それよりも前に決められていたことなどが研究で明らかになり、脳を刺激するヘルメットで感情制御が容易になって冷静に行動できるようになるなどの実験成果も出始めたことなど、人間の自由意志が自由ではないということが証明されつつあることが述べられていました。

・経験する自己と物語る自己の話で、物語る自己が自身にとって有利になるように構築され、そちらを採用するプロセスなども自由意志がフィクションであるという話に繋がる形で述べられていました。

第9章 知能と意識の大いなる分離

・人間の経済的有用性と軍事的有用性がAIやロボットの発展で失われていくこと、芸術も有機的なアルゴリズムであり、作曲や絵画などにもAIが進出していること、個人主義の前提である「分割不能な個人」「本物の自己」「自分のことは自分が一番知っている」は全て生命科学で否定されることなどが述べられていました。

・自身以外のアルゴリズムに代替されてしまう無用者階級と呼ばれるような人が増え、自身をアップグレードできる階層との格差が生まれることなどが想定されていました。

第10章 意識の大海

・まだ人間を最上位に持ってくるテクノ人間至上主義が想定され、その進展として現在の人間が知覚している視覚や聴覚などが拡張される可能性、人間の能力を飛躍的に向上させる可能性などが述べられていました。
そのテクノ人間至上主義も、その能力をどう使うかということが、人間自身がデザイナー製品になってしまうためにわからなくなる、というジレンマに陥ると結論付けられていました。

第11章 データ教

・テクノ人間至上主義のジレンマから、データ至上主義に変わっていくという流れが述べられていました。

・あらゆるデータが自由になり、結びついて出す結論こそが正しいということになり、人間至上主義の「汝の感情に耳を傾けよ!」からデータ至上主義の「アルゴリズムに耳を傾けよ!」に変わり、人類が家畜にやってきたことを、人類にも形を変えて適用するようになっていく可能性が考えられるそうです。

・最後に「生き物はアルゴリズムに過ぎず、生命はデータ処理に過ぎないのか?」「知能と意識のどちらのほうに価値があるのか?」「意識を持たない行動な知能を持つアルゴリズムが私たち自身よりも私たちのことを知るようになった時、社会や政治や日常生活はどうなるのか?」という問いが提起されて締められていました。

○つっこみどころ

・上下巻に分かれていましたが、参考文献等を除けば合計で400ページ超というボリュームで、1冊にまとめても問題ないのではと思いました。
分厚めの新書と同程度の文字数で、若干ボリューム不足と思いました。

・「サピエンス全史」よりも面白い、という有名人の書評もありましたが、どちらかといえば小説になっていないSFのような内容で、「虚構」を中心に歴史をまとめた「サピエンス全史」に比べるとかなり自身の評価としては低めでした。
この本に対する期待が大きすぎたのかもしれませんが。

・進化、進歩等については昔の経済学の前提になっていた「経済人仮説」のような、効率的過ぎる人類が想定されていてリアリティーが薄いなと思いました。
各論で考察を進める中で出てくる歪みなどは「経済人仮説」的なところから離れていますが、そこに至るまでが効率的な人間を仮定して無理矢理選択肢を狭めて話を進めている印象でした。

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