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【ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争】レポート

【ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争】
高木 徹 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4062750961/

○この本を一言で表すと?

 ボスニア紛争をPRで決着させたドキュメントの本

○面白かったこと・考えたこと

・ボスニア紛争がそれ以外のより大規模な紛争より注目を浴び、勧善懲悪のような図式になったのが、PRの結果だということを、最初から最後までのプロセスを明らかにしていて内容がよく分かりました。

・ボスニア紛争については、世界史の本や現代史の本で出てきて知っているくらいでしたが、どの本でもセルビア人の民族浄化について触れていました。特に疑ってもいなかったんですが、そのイメージが当時のPRによって印象操作されたものであったのであれば、PRの影響は途轍もないなと思いました。

・細かく章が分かれていましたが、各章で山場があり、最後まで一気に読める面白さの本でした。

序章 勝利の果実

・ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボと、セルビア共和国の首都のベオグラードを対比して、前者の発展ぶりと後者の「灰色」ぶりがPR戦争の結果だということが序文として書かれていました。

第一章 国務省が与えたヒント

・ボスニア・ヘルツェゴビナの外務大臣であるハリス・シライジッチが一人で渡米し、ニューヨークの国連本部に行っても誰にも相手にされず、アメリカの人権活動家のデビッド・フィリップスの伝手でようやくアメリカ国務長官のジェームズ・ベーカーに会うことができ、そこでタトワイラー報道官からメディアがボスニアに入っているのか、メディア対策はできているのか、と質問し、シライジッチがその重要性に気付かされたことが書かれていました。

第二章 PRプロフェッショナル

・シライジッチがルーダー・フィン社でジム・ハーフと出会い、シライジッチが容姿の面と話し方の面でPR向きだったことが書かれていました。

第三章 失敗

・最初の記者会見では人が集まらず、その記事は「ニューヨーク・タイムス」で女性下着の安売り広告の付け足し程度の扱いだったことが書かれていました。

第四章 情報の拡大再生産

・ジム・ハーフをトップとした「3人のジム」のチームで、「ボスニアファクス通信」を定期的に発信し、個別インタビューの機会をセッティングし、米国議会の情報を収集するなどの基礎づくりの内容が書かれていました。

第五章 シライジッチ外相改造計画

・シライジッチが容姿に優れ、英語に堪能でテレビ受けするというメリットを持つ一方で、歴史から語って長話をしたがることや女性に弱いことなどのデメリットも持っていて、「3人のジム」もシライジッチに好感は持っていなかったこと、そのシライジッチを話し方から振る舞いまで徹底的に訓練してPRに向いた表現ができるようにしたことが書かれていました。

第六章 民族浄化

・使用するとユダヤ人に反感を持たれる「ホロコースト」という言葉を使わずに別の表現で同様のイメージを持たせる目的で「民族浄化(Ethnic Cleansing)」という言葉を採用し、多用したことが書かれていました。このキーワードだけでボスニア紛争のイメージを聞いた者に抱かせることができる、強力な言葉だったそうです。

第七章 国務省の策謀

・動きが鈍い国務省に対して、あくまで間接的に「民族浄化」という言葉を使用させ、プライドの高い官僚に直接的に使用させようとはしない、その根回しの徹底ぶりがすごいなと思いました。

第八章 大統領と大統領候補

・当時の大統領選で、ブッシュ(父)大統領とクリントン大統領候補の両方にアプローチし、「民族浄化」という言葉を使用させ、ボスニア紛争を論点にさせようという動きは、的確で効果があっただろうなと思えました。

第九章 逆襲

・セルビア共和国の大統領で悪玉とされてしまったミロシェビッチが、アメリカ国籍を持ち、アメリカで成功した起業家であるミラン・パニッチを首相に起用した話が書かれていました。
パニッチはPRの重要性を知っていて、アメリカのPR企業と契約を結ぼうとしてユーゴスラビア連邦が受けている経済制裁のせいで契約できなかったり、パウエル・テート社と契約が締結できそうになったり、セルビア側からの逆襲の流れが書かれていました。

第十章 強制収容所

・ボスニアに入国した記者が、捕虜収容所で痩せた囚人をみつけ、写真として撮ったこと、効果的な見出しとして「強制収容所」とつけたことで大ニュースとなったこと、実態としてはナチスの強制収容所と全く異なっていたにもかかわらず、同様のイメージが定着するようになったことが書かれていました。
記者の特性として、自分の記事をヒットさせたいという願望があり、それがイメージ操作に繋がることがあるというのが印象的でした。
どの国でもどの時代でも同じ特性がありそうだと思いました。
この記事が元々はそれほど反響がなかったことと、この記事を見つけてその拡散に着手したジム・ハーフの手腕が抜け目ないなと思いました。

第十一章 凶弾

・「強制収容所」のニュースでパウエル・テート社が契約破棄してPR企業を使えなくなったパニッチが、逆転の手段としてアメリカ三大ネットワークの一つであるABCの報道チームとともにサラエボに電撃訪問して巻き返しを図った時、取材陣を運ぶ装甲車が足りなかったことでABCのチームは車をチャーターし、乗り込んだ記者が狙撃されて死亡したことで、パニッチが窮地に追い込まれていたことが書かれていました。

・何が起こり得るかの想定の広さ・狭さで段取りが変わり、結果が変わってくるということが、ここまで出てくる例はなかなかなく、少なくともチームとして取り組まない限りは、対応は困難なのだなと考えさせられました。

第十二章 邪魔者の除去

・国連防護軍サラエボ司令官だったルイス・マッケンジー将軍が、現地を知り、強制収容所などなく、セルビア人が一方的に悪ということもないことを知っていて、そのことを帰国後に語り、このマッケンジー将軍がボスニア側のPRにとって重大な敵とみなして、所属するカナダの外相にも手を回し、マッケンジー将軍も悪玉として表舞台から退場させたジム・ハーフの手腕はすごいなと思いました。
対抗手段がなければ世間から消されてしまうというのは、恐ろしいながらも現実だなと思いました。

第十三章 「シアター」

・ロンドンで開催されたユーゴスラビア和平国際会議で、パニッチが起死回生の手段としてミロシェビッチ一人を悪玉として、セルビア共和国を活かそうとして会議中に貶めるアクションを取ったり、ボスニア側ではボスニアから避難した難民の親子をゲストとしてインタビューする場を作ったり、様々な思惑が交差していてその準備から結末までをどれだけの労力で管理しようとしているのかなど、途方もないなと思いました。

第十四章 追放

・ロンドン会議で、当時の国連事務総長のガリがボスニア側の控室に乗り込み、セルビア人だけではなく、モスレム人も平等に停戦し、事態を収拾することを唯一の案として提示し、ボスニア側に飲ませたのは、ジム・ハーフでも第三者の思惑(セルビアだけを一方的に叩くことを不快に思う勢力)までは見抜けなかったのかなと思いました。

・パニッチがセルビア側で立場を保つためにも国連に残留することが最低条件であり、国連会議でモスレム人がイスラム国家を構築しようとしていると主張し、この対抗手段としてジム・ハーフが「多民族国家」というキーワードを打ち出し、セルビア人でボスニア側についているディビャク将軍とボスニア大統領を並んで会見することで巻き返したのは、どこまで想定していたのか、対抗策をどこまで用意していたのか凄まじいなと思いました。

・ボスニア大統領の国連総会での演説でも多民族国家をアピールする原稿を用意し、ついにユーゴスラビア連邦の国連追放に至るところは、それまでのボスニア側とジム・ハーフのPR戦略が結実した瞬間として印象的でした。

終章 決裂

・全てが終わった後、シライジッチはルーダー・フィン社への支払いを渋り、ついに決裂したこと、パニッチがミロシェビッチに選挙で負けてアメリカに戻ったこと、シライジッチも政局に負けて表に出なかったことなど、主要な登場人物が皆失脚していった結末が印象的でした。

・ジム・ハーフは報酬をすべて回収できなかったものの、ボスニアを勝たせた凄腕PRマンとしての名声を得て、収支としてはプラスだったようです。