【「空気」の研究】
山本 七平 (著)
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○「空気」の研究
・「空気」による支配のプロセス
臨在感的把握(物質の背後に何かが臨在していると考える)⇒感情移入から始まる(対象を無意思の塊と考える?)⇒対象への一方的な感情移入と自己と対象の一体化。
当時の「空気」は時間が経つと雲散霧消⇒後になって事実関係だけ把握すると「なぜ?」と思うような因果関係になる
意図的な空気支配⇒戦争記事による空気醸成(西南戦争以降)
「空気」醸成の必要条件の一つは、「対立概念で対象を把握すること」を排除する
・なぜ日本でのみ「空気」が醸成されるか?⇒一神教は臨在的把握を許さない。
・臨在感的把握により「空気」が醸成されると、命題を絶対と思いこんでいてそれ以外を許さない世界に。
・空気醸成の防御策⇒絶対化された空気を対立概念で相対化する
○「水=通常性」の研究
・「空気」に対して「水」を差す
・「通常性=日常性」日常生活は無意識で通常性を構築していき、異常性を排除する
・おかしな情況の発生は「ぬいぐるみ」を着ているような状態(共産主義、一億総火の玉、など)⇒脱げばすっと日常戻る。
「日本的情況倫理とその奥にある論理」
・3つの論理
情況倫理⇒状況に応じて存在する「倫理」。計測するための「尺」が伸縮自在。⇒情況を設定し得る一定の基盤が必要
固定倫理⇒固定的規範。情況が変化しても変わらないもの
辻褄の合わない論理⇒情況倫理からさらに飛躍して、情況倫理上仕方がないという立論の上に、そもそも存在しなかったことにする論理
・情況倫理に基づく日本人の自己無謬性または無責任性⇒情況の創出は自己以外によるものであり、責任を追及されるべきは情況を創出した者⇒根底には「同じ情況にあっても人は個々に別々の行動を取る、ということを絶対に認めない」⇒日本的平等主義、日本的情況倫理につながる。
・日本的情況倫理⇒一君万民、オール3的倫理
・日本人は論語の子路第十三の「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きことその中にあり。」を拡大解釈
中国ではあくまで「父と子の倫理」だが、日本では上下関係のあるすべての関係に適用。
忠孝一致「君君たらずんば臣臣たらず」から一方的な「君、君たらずとも臣は臣たれ」に。
⇒臨在的把握、空気の醸成、父と子の隠し合いの原理、オール3・一君万民方式などに共通するものは「虚構の世界」「虚構の中に真実を求める世界」「虚構に支配された世界」⇒演劇と同様「演技者は観客の為に、観客は演技者の為に隠す(女形が男だとは決して言わない)」
・戦後の「自由」とは「水を差すことができる自由」
○日本的根本主義について
・ホートン中尉「日本人は現人神を信じているのだから進化論を信じるわけがない」⇒一神教的な合理的思考で考えるとそうなる⇔日本人は汎神論的世界に住んでいるために通用しない論理
・根本主義(ファンダメンタリズム)⇒今でいうところの原理主義に近い?(ミュンツァーのルター批判、ピルグリム父祖のエズラ革命など)
・西欧では憲法とキリスト教伝統が分かちがたいもとして存在⇒(伊藤博文が)日本で憲法を採用するときには分けて憲法のみを導入した。⇒「ある面は見ない」という態度⇒矛盾を放置
・矛盾を矛盾としてみない、情況を臨在的に把握すること、学問で反証しても納得しないこと(企業が洗剤は在庫としてあると言っても詳しく説明しても「ない、売り惜しみしている」と詰め寄る民衆。中国の土法高炉は不可能とどれだけ論理的に説明しても納得しないが写真一枚で納得する民衆。)