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【ポストモダンの正義論 「右翼/左翼」の衰退とこれから】レポート

【ポストモダンの正義論 「右翼/左翼」の衰退とこれから】
仲正 昌樹 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4480842934/

○この本を一言で表すと?

 よく使われるけれどもその実体があまり理解されていない「右」「左」の定義やそれ以降について易しく解説した本

○この本を読んでよかった点

・「逃走論」を読んで分かっていたものまでさっぱり分からなくなったような状態でこの本を読み始めましたが、分かりやすい始まりから読者を置いてけぼりにしない論理の積み上げ方で最後まで分かりやすい本でした。

・「右」「左」や「革新」「保守」など、よく使われる言葉や対比について、複数の使われ方があるようで頭の中でこんがらがっていましたが、時代の流れで実際に「左」だったのもが「右」として扱われるような流動的なものであることがようやく理解できました。

第一章 市民革命と保守主義の誕生

・「進歩史観」がまずあり、科学の発展や社会制度の発展が続いていることという漠然とした考え方を、昔なら社会が問題と取り扱わなかったストーカーやDVを現代が取り扱っていることを例に挙げて「進歩」を身近なものに置き換えて説明されていて理解しやすかったです。

・今でもよく使われる「右」「左」がフランス革命時の議会での議席の配置が元になっていること、元々は①王政の廃止を目指す「左」と②存続を是とする「右」だったところが、③弱者の立場を守る再配分重視の「左」と④市場の自由を尊重する「右」となり、古い左①と新しい右④、古い右②と新しい左③の方が近しい存在になっていることなど、用語の定義や変遷が頭の中で整理されたように思いました。

・社会の進歩に対して回顧主義、伝統主義が現れるように、まず「左」が出てそれに対抗するように「右」が出てくるという構造になっているというのは歴史全体でも一貫して通る説明だなと思いました。

第二章 進歩の歴史哲学

・普遍的なものを「神」から「絶対精神」に移しただけとしてヘーゲルの哲学を説明しているのは単純化しすぎているかもしれませんが、分かりやすかったです。
絶対精神と個人の関係をゲームプログラム全体と各キャラという例えで説明しているのも分かりやすかったです。

・絶対精神の具体例を市民社会や国家として、国家に依存することで国家の法により自由になるという流れは分かりやすいなと思いました。

・「逃走論」では「マルクス主義は唯物史観ではない」と書かれていて混乱しましたが、この章では「マルクス不義は唯物史観」と書かれていて、これも研究者による捉え方の違いかなと思いました。

・マルクスの原始共産主義自体、捉えようによっては回顧主義的な「右」のような気もしますが、それを進歩として捉えると「左」として、通念としては常に「左」として扱われているのは興味深いです。

第三章 進歩と経済成長

・福沢諭吉の「文明論之概略」の文明の進歩こそが大事という考えとこの本で取り扱っているテーマ「進歩史観」はかなり整合的だなと思いました。

・日本において戦後に「左」が流行ったものの、経済成長による「進歩」により「右」の方が強くなったというのは、いろいろな要素が興亡を決定していた面白いなと思いました。

第四章 進歩と社会正義

・「右」「左」と「正義」の話がどう繋がるのかと思っていましたが、考えてみると、何が正しいと思うのかが前提にあってそれにどれだけ適合しているかを「正義」とするのは当然で、自由主義である「右」は自由を、マルクス主義である「左」は生産を正義と考え、それに付随する所有権の有無などで大きな違いが出てくるというのは当然かもしれないなと思いました。

第五章 ポストモダンと「歴史(進歩)の終焉」

・フランシス・フクヤマの「歴史の終焉」はいろいろな本の参考文献にもなっていてタイトルはよく目にしていましたが、この本で取り扱っているテーマ「進歩史観」の終焉として書かれていること、その「進歩」は目的地を目指すものであってその目的地に到達してしまったとしているというのは初めて知りました。

・「フリーター」が最初は肯定的な意味で語られていたというのは、自分自身もその時代を生きていたにもかかわらず、今から考えると不思議な感覚です。肯定的な意味でのフリーターと浅田彰氏の言う「スキゾ・キッズ」は確かに共通のイメージがあるなと思いました。

・冷戦によって「右」「左」の構造が大きく変わり、それまでの「左」の概念が終焉してしまったというのは改めて歴史上の大きなトピックなのだなと実感しました。

・フリーターからニートの方がより象徴的な存在となって、「スキゾ・キッズ」のイメージとより適合するニートが反感を買う存在となったことを考えると、1980年代と現代の大きな差異を感じます。

第六章 ポストモダン的な不安と「正義」

・現代日本の「右」「左」で「左」の方は労働者を支持し、支持される存在であるために、その労働者が労働組合に参加できる正社員で、それ以外の非正規社員が外れること、元々弱者を対象としていたのにその弱者が中流になってさらなる弱者(フリーター、ニート)が出てきたというのは当の「左」の人たちも予想すらできなかったのだろうなと思いました。

・「左」が弱者を裏切ったとしてむしろ「右」を支持するとした赤木氏の考えは、過去の古い左と新しい右の親和性と時代が変わっても同じようなことを繰り返すのだなと興味深かったです。

・「再配分」と「承認」というさほど相反しなさそうな概念が、資源が少なくなること、不景気になることでどちらを優先するかという議論になるというのも状況によって概念に対する見方まで変わってくることの不思議さが出ているなと思いました。

・「共感」をキーワードに制度的な整合性も求めるロールズの正義論の話がここで出てきて、理想論的ですが、確かに希望のある考え方だと思いました。

・著者自身の意見が最後に述べられていて、「閉塞感」の前提にあるのは「進歩を前提にしたその裏切り」と定義し、自分が今立っているところから目の前の問題を解決するルールを探っていこうというのは、進歩を前提としない考え方のすすめで、サラッと書かれている割にはこの本全体で取り扱った「進歩史観」への大きな反論だなと思いました。