【群衆心理】レポート

【群衆心理】
ギュスターヴ・ル・ボン (著), 桜井 成夫 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4061590928/

○この本を一言で表すと?

 「群衆」の性質、傾向とその分類について検討した本

○よかったところ、気になったところ

・様々な本で引用されたり批判も含めて検討されたりしている本で気になっていましたが、ようやく読むことができました。
1946年に翻訳された本の文庫化されたもので、現代と異なる言い回しなどもありましたが、その割には意外と読みやすかったように思いました。

・1895年にフランスで刊行された本だそうですが、それ以降の歴史や現代に至るまで当てはまるのではないかと思える内容が多く、興味深いなと思いました。
この本を読み進める中で、今までに読んできた本に載っていたことや、ニュースなどで見た最近の内容が頭に浮かんできました。
この本の内容を参考にして「群衆」のコントロールを考えた政治家なども結構いたのだろうなと思えました。

第一篇 群衆の精神

・第一篇では「群衆」の性質や傾向について説明されていました。

・「群衆」になると感情の振れ幅が大きくなり、極端な感情に支配されやすくなり、結論は完全な肯定か否定のどちらかというシンプルなものになり、ものごとを推理する能力が失われていくそうです。

・知的な個人であっても、「群衆」の一員になると「群衆」の性質を有するようになって、個人の知性が発揮されなくなっていくそうです。

・フランス革命やその後の恐怖政治などは、「群衆」の宗教的とも言える熱情に流されて実現していったそうです。

第二篇 群衆の意見と信念

・第二篇では「群衆」を構成する要素について説明されていました。

・「群衆」の信念と意見の間接原因として、種族性、伝統、時などが挙げられていました。
政治制度や社会制度は結果であって原因ではなく、種族性や伝統が受け入れられるものしか制度として定着しないそうです。

・当時のフランスの教育制度について批判していました。
暗記中心の教育で、学校で教育されたことが社会に出てから役に立たないため、社会不安や犯罪率増加に繋がったと述べられていました。
日本でもよく言われているような話だなと思いました。

・「群衆」の意見の直接要因として、心象と幻想が挙げられていました。
短い言葉や標語が「群衆」の心象構成に非常に有用で、「群衆」の指導者は言葉や標語の断言・反復・感染を活用して「群衆」を動かすのだそうです。

・「群衆」を抑止する要因として経験と道理が挙げられていました。
ただ、経験は長期的な積み重ねがなければ有効にならず、道理はあまり抑止の効果がないとも述べられていました。

・「群衆」には固定した信念と変動しやすい意見があり、固定した信念はなかなか変化が見られない強固なものとなって文明を築く礎になるほどのもので、その上層に容易に変動する意見があって短期間で変わったりなくなってしまったりするものだそうです。

第三篇 種々な群衆の分類とその解説

・第三篇では「群衆」の分類と、その分類について実例を挙げての解説されていました。

・「群衆」が、異なる種族性や属性を持った者が集まる異質の群衆(街頭の群衆、陪審員、議会の集会など)と同じ種族性や属性の者が集まった同質の群衆(党派、仲間、階級)に分類されていました。

・異質の群衆について犯罪的群衆、重罪裁判所の陪審員、選挙上の群衆、議会の集会の事例が挙げられていました。

・犯罪的群衆は、心理的には犯罪をしようと思っているわけではなく、自分たちの正しいと思える行動が一般に犯罪的だという群衆を指すのだそうです。
バスチーユ牢獄襲撃の時に野次馬として参加した失業料理人が捕まえてリンチを受けた典獄からたまたま蹴られたというだけで当然のように死刑を執行するというように、群衆の判断基準に沿って行動するそうです。

・重罪裁判所の陪審員は、どういった階層の者を集めても裁判結果が同じになるということで群衆として分類されていました。
一般に同情が寄せられそうな被告とそうでない被告で、裁判官が同じように判断を下す場合でも、陪審員は一般の感情に沿って前者を軽くするそうです。
当時の弁護士が陪審員に訴える手法などが解説されていました。

・選挙上の群衆は、意見を求められても争うのみで建設的な意見は出てこず、結局ごく一部の上層の者による意見が出るとそれにすり寄っていくことしかないそうです。

・議会の集会は、議員個人の事情や感情、意見はあまり関係がなく、ごく一部の扇動的な者の意見に収束しがちなのだそうです。
新人議員が十分な準備をして裏付けなども整えて議題に立ち、誰にも意見を聞いてもらえすらなかった事例と、感情的に意見を述べるだけでその意見に信条的に反対の者も反論できなかった事例などが紹介されていました。

○つっこみどころ

・主に著者自身の観察と推察で書かれていると思われ、過去の歴史上の出来事をどれも「群衆」に絡めて述べ、一面的な見方で検討するなど、極端な内容になっているように思えました。

・第三篇の重罪裁判所の陪審員を「群衆」として説明していましたが、かなり根拠が薄く、内容も「群衆」の性質をもつことと個別の心情によることを交えて述べられていて後者の要素が大きく、それほど「群衆」の事例になっていなかったように思いました。
少人数でも多属性の人間が集まっても「群衆」になることを示したかったのだと思いますが、あまり成功していないように思いました。

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