【老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典】レポート

【老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典】
野村 茂夫 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4043675038/

○この本を一言で表すと?

 老子と荘子の全体像を分かりやすく書いた初心者向けの老荘本

○考えたこと

・「老子」について、講談社学術文庫の「老子」とは若干解釈が違うところがいくつもあり、翻訳・解釈する人によって読み取り方が違う本なのだなと思いました。

・「荘子」が「老子」の12倍ほどの文字数というのにびっくりしました。
「老子」が短いのか「荘子」が長いのか。。。

・二千年以上も儒家と道家がともに続いているのは、士大夫(中国の知識人)が公式には儒教的教養を身に付け実践しながらも、自由な一個人としての生活を楽しむ時は道家の思想に心のよりどころを求めた、という発想は面白いなと思いました。(『老子・荘子』解説 二 儒家と道家)

・全体として、「荘子」の方が「老子」よりも地に足の着いた考え方をしているように思いました。「荘子」は寓言(たとえ話)が多く、話が分かりやすい上に読んでいて面白いなと思いました。

・「老子」もそうですが、「荘子」は元が「荘子」だとは知らなかったいろんな故事成語、エピソードに満ちているなと思いました。
朝三暮四(斉物論編)、胡蝶の夢(斉物論編)、無用の用(人間世編)、明鏡止水(徳充符編)、莫逆の友(大宗師編)、古人の糟魄(天道編)、邯鄲の歩み(秋水編)、井蛙は以て海を語るべからず(秋水編)、木鶏(達生編)、君子の交わりは淡き水のごとし(山木編)、蝸牛角上の争い(即陽編)

・「老子」のいう「道」はすべての根源であり、ただそれに近づくことを目的にすべきものと書かれていましたが、「荘子」では道はどこにでも存在し、虫にも瓦にも屎尿にも存在すると言っていて、同じものを指しているのかもしれないですがアプローチの仕方が異なるなと思いました。
「荘子」も「道」はすべての根源という考え方は同じですが、同時にすべてに存在し、ゆえにあらゆるものはひとしく価値があると述べていてより深く述べている印象があります。(知北遊編)

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