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【暇と退屈の倫理学】レポート

【暇と退屈の倫理学】
國分 功一郎 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/425500613X/

○この本を一言で表すと?

 「暇」と「退屈」というテーマが人間の根底に関わってくることと、どのように関わってくるかを丁寧に解説した本

○この本を読んでよかった点・考えた点

・本来は難しいと思われる考え方を、かなり分かりやすく、読みやすく説明されていてよかったです。

・「暇と退屈」がテーマなら買ってみようという割と軽いノリで購入しましたが、「暇」であることや「退屈」であることというのがここまで深い話になるとは、いい意味で予想外でした。

序章 「好きなこと」は何か?

・ラッセルの幸福論で「世界をつくり上げることが幸福で、作り上げられた世界にいる者は不幸」という考え方があり、「幸せを追い求めて成功すると不幸になる」という矛盾があり、そこから転じて時間ができた人がその時間を埋めるためのものを望むという本書の中心テーマになるところに結びつけているのはうまいなと思いました。

第一章 暇と退屈の原理論

・パスカルの考え方が分かりやすく書かれていました。
ウサギ狩りにいく人はウサギが欲しいのではない、というのはかなり当たっている話だと思いました。
寓話だと分かりやすいですが、直接読むとかなり理解が難しそうです。
欲望の対象と欲望の原因が異なる(ウサギ狩りだと兎が前者で気晴らしをすることが後者)というのはかなり鋭い指摘です。
その差異に負の要素(苦しみ)があることが重要というのは確かに人の一面を表しているように思いました。
ファシズムや共産主義もこの負の要素を渇望する極端な例であるというのもうなずける気がします。

・ラッセルの言う「退屈」が「事件が起こることを望む気持ちがくじかれたもの」で、「事件」が今日を昨日から区別してくれるもの、というのもなかなかうまく言い当てているように思いました。

・人は快楽を得ることではなく、快楽を求めること自体が大事というのは「スタンフォードの自分を変える教室」に載っていたドーパミンが快感をもたらすのではなく「報酬の予感」を与えるだけということと繋がっているように思いました。

第二章 暇と退屈の系譜学

・食料生産ができるようになったから定住したのではなく、定住してから食料生産もできるようになったというのは、「銃・病原菌・鉄」などの記述等と一致しているなと思いました。

・遊動生活を送ってきた人類が一万年前から定住生活を始めたこと、定住生活をするようになることで今までになかった「普段見る景色が変わらない」「会う人間が変わらない」などによる退屈を感じるようになったこと、つまり人間は元々退屈に耐えられるようになっていないというのは、人間が元々肥満に耐えられるようになっていないという話と似ているなと思いました。

第三章 暇と退屈の経済史

・「暇」と「退屈」が異なる概念であることが第三章まで来てようやく解説されていました。
暇は客観的な条件であり、退屈は当人が感じる主観的な状態のことだそうです。

・暇というのは昔は素晴らしいと考えられていて、有閑階級の者は暇をうまく使える嗜みがあったところ、暇が労働者等の大多数の人間に与えられてから、暇を生きる術を知らないのに暇を与えられた人間が大量発生し、退屈する人間が生まれていったというのは面白い歴史の流れだなと思いました。

・「余暇」が労働者をさらに有効活用するための必要なものとして捉えられ、フォードは最初の頃は余暇の取り方を監視していたというのは興味深い話だなと思いました。

・管理されない余暇、どう使ってよいかわからない余暇を商売の源泉にするレジャー産業の発生と、ガルブレイスの言う「消費者主権ではなく生産側が消費者に『こうすればよいのだ』ということを教えている」という説はかなり当たっているように思います。

第四章 暇と退屈の疎外論

・「ファイトクラブ」は観たことがないですが、この話を消費社会で苦しむ者を描いた話とし、その消費社会を批判するタイラー自身も消費社会の落とし子として存在しているというのは面白そうで、今度観てみたいなと思いました。

・ルソーとホッブズの提唱する自然状態が、前提が違うことで全く違うことを言っているというのは面白いなと思いました。

・ルソーの自己愛と利己愛の定義、自然状態だと邪悪なことをする条件がそもそもないために利己愛が存在しえないというのは面白い考察だなと思いました。

・ルソーをあまり知らなくても「自然に帰れ」という言葉は知っていますが、この言葉をルソーは著作で一度も述べていないというのは、確かにルソーが大多数の人間に誤解されそうだなと思いました。

・マルクスが目指す「自由の王国」が労働日の短縮を目指す、つまり暇を生み出すことが目的とされ、その暇による退屈に対処するために仕事をその仕事を職とする者以外が行うことも想定していること(狩猟を猟師以外の者が、魚取りを漁師以外の者が行ってもよい)というのはマルクスらしい網羅性だなと思いました。

第五章 暇と退屈の哲学

・ハイデッガーの退屈の三形式はかなり面白い分類だなと思いました。

・一般的に考えられるはっきりと退屈されられるものによる退屈を第一形式の退屈として、時間がのろくぐずついて「引きとめ」られるということ、何もない、むなしい状態に人間を放り込む「空虚放置」、ものに特有の「理想時間」と現実の時間のギャップで「空虚放置」による「引きとめ」が行われること、というのは退屈になる状況をかなりうまく表現しているなと思いました。

・退屈の第二形式、楽しいことなのになぜか感じる「退屈」が、「退屈」と「気晴らし」が同時に進行しているものということは今までに考えたこともなくて新鮮でした。
付和雷同、流れに乗ることで「空虚放置」が育ち、放任されても放免されないその場に縛り付ける「引きとめ」があるというのは知って初めてそういう面があるかもしれないと思いました。
この第二形式が「正気」の一種で当たり前に存在するものということはこの概念を初めて知って「これは日常に当たり前に存在するものではないか」という感想と一致していて納得できました。

・ハイデッガーが第一、第二を打ち出してさらに深い第三の形式の退屈が存在すると打ち出して、準備もなく突然出したその答えが「なんとなく退屈だ」というのは、その意味を知るごとになるほどなと思いました。
その内容を、説明をされずとも誰もが感じたことがあることをこういう位置づけに持ってきたこと自体がハイデッガーのすごさかなと思いました。

・第一の形式と第二の形式が第三の形式から生まれていること、第三の形式から逃れるために仕事の奴隷となり、そのために第一の形式の退屈を味わうこと、第二の形式は第三の形式を味合わないために主体的にそれを味わうものであること、という関係性も興味深かったです。

・この逃れがたい第三の形式の退屈を打破する方法が「自由だ」ということで、「決断」することというのは「7つの習慣」のインサイドアウトの考え方に賛同している者としては当然のものと思えました。

第六章 暇と退屈の人間学

・ハイデッガーの考える無生物、人間以外の生物、人間の世界の違いの話はなるほどなと思いました。
ユクスキュルの言う環世界の話は生物の本を読んでいても出てきたことがなかったですが、かなり面白い話でした。

・ダニの世界の進み方、時間の相対性、人間や他の生物の時間の最低尺度の話は自分がうっすらと知っていた内容がすごくうまく整理されていたように思いました。

・環世界間移動の話、人間と他の生物を絶対的に切り分けるのではなく、他の環世界間移動能力が強いかどうかで切り分けているのも興味深い考え方だなと思いました。

第七章 暇と退屈の倫理学

・第三の形式の退屈を逃れる「決断」の奴隷になることで第一の形式の退屈に移るというのはかなり現実に実感することに近い考え方だなと思いました。
第二の形式の退屈が負担のない「人類の知恵」で人間の日常というのは第一と第三に比べると確かにそうかもしれないなと思いました。

結論

・著者の三つの結論のうち、一つ目の結論「こうしなければ、ああしなければ、と思い煩う必要はない」というのが既に学び始めている人間は既に何かが変わっていること、というのはわかるようなわからないような、不思議な感覚の結論だと思いました。

・二つ目の結論「贅沢を取り戻すこと」が記号ではなく物を受け取ることを目指す考えで、「楽しむための訓練をすること」というのはかなり自分の実感に合い、また賛成できる意見だなと思いました。

・三つ目の結論「動物になること」で何かについて思考せざるを得ない状況で、環世界間移動をしにくい状況に自分を置くこと、思考することがその要諦というのは、わざと囚われることが重要ということかなと思いました。

・楽しむことから考えることに繋がるので第二の結論と第三の結論が繋がっているというのは面白いなと思いました。