• 様々な本、様々な資格の話が盛りだくさん(の予定)

【修身教授録】レポート

【修身教授録】
森 信三 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4884741722/

○この本を一言で表すと?

 大阪天王寺師範学校における森信三氏オリジナルの修身講義実況中継

○考えたこと

・読んでとても考えさせる内容が何度も登場し、自分にできていないところでは目の前で鋭く指摘されるような「強さ」を感じました。
「7つの習慣」を読んだ時にも感じましたが、それ以上に読むたびに目に留まるところ、指摘されて痛いところが変わりそうな本だと思いました。

・キリスト教がベースとなっている「7つの習慣」と、儒教がベースとなっているこの本で、結論を出す過程は違うものの、結論自体がかなり似ているところがいくつもあり、面白いなと思いました。

・「<Ⅰ>第7講―志学」以降何度も出てきますが、論語の「十五にして学に志す」を15歳で自然に志すという意味ではなく、それまでに志すための素養ができて初めて志すこと、その先20年、30年を見据えて志すこと、小学校教諭はその意味で生徒に自ずから志すように教えることが大事であることが書かれていて、それは本当に大事なことだと思いました。
それと同時に、それはかなり困難なことで、今ではほとんど為されていいないのだろうなと思いました。

・「<Ⅰ>第14講―真実の生活」以降で何度も出てきますが、上に昇ることにかまけて自分の場所で力を尽くすことを忘れている者が多いという話は、現代でも全く通じる話だなと思いました。

・「<Ⅰ>第21講―血・育ち・教え」「<Ⅱ>第8講―気品」で書かれている、遺伝、生まれた環境、その後の教育で気品が形作られるという話と、「7つの習慣」で遺伝子学的決定論、心理学的決定論、環境論的決定論が人間を決定づけるわけではないという話は全くの真逆なことを書いていますが、結論として困難だが自ら変えていくことができるとしていることが興味深かったです。
孟子の性善説と荀子の性悪説が人間の本質について真逆のことを言っているのに結論としては同じく「だから己を鍛えなければならない」となっていることと同じだなと思いました。

・「<Ⅰ>第26講―仕事の処理」「<Ⅱ>第15講―一時一事」などで為すべきことの集中と選択、一点集中の考え方について書かれていて興味深かったです。

・「<Ⅰ>第29講―対話について」で書かれている対話や座談会についての心得はコミュニケーションの基本としても有益な話だなと思いました。

・「<Ⅰ>第30講―謙遜と卑屈」では区別が難しい「謙遜」と「卑屈」を明確に分ける定義として素晴らしいなと思いました。
上に対して「卑屈」な者が下に対して「傲慢」という話は思い当たることが多々あります。それ以降の目上、目下に対する態度の話は、テクニック的なところはありますが、必要な処世術としても有用だなと思います。

・「<Ⅰ>第36講―誠」以降で何度も書かれている、少しの余力も残さず全力を挙げて打ち込む姿勢についての話は、自分ができていないことが思い当たるところでもあり、痛いところを突かれた気がしました。

・「<Ⅱ>第18講―忍耐」で書かれている「忍耐」を「堪忍」と「隠忍」に分けて考えるのは定義が分かりやすくなっていいなと思いました。
忍耐上の工夫の話は、「EQ」で書かれていた大脳新皮質をバイパスして扁桃核に到達することにより「キレる」ことと、その回避法についての話に通じるなと思いました。

・「<Ⅱ>第22講―下坐行」で書かれている自分を積極的に下に置いて修行する話と、受動的にそういった立場に置かれた場合の修行の話は、特に後者においてできていない人が多いなと思いました。

・「<Ⅱ>第26講―二種の苦労人」で書かれている、苦労して思いやりのある人柄になる場合と、思いやりがさっぱりなくなる場合があること、道または教えに出合わなければ容易に反省しないことなどは、非常に身に覚えのある話で自分を振り返ることができました。

・「<Ⅱ>第27講―世の中は正直」で書かれている結果としてプラスマイナスゼロという話は、自分の実感とも一致していて嬉しく思いました。

・「<Ⅱ>第28講―平常心是道」で書かれている武道や禅は、直接取り組んでいないときこそ試されるという話は本当にそうだなと思いました。
プライベートでダメな人が仕事ではしっかりしている、といったことは可能ではあるでしょうが、長期的にみたら破綻するものだと思います。

・「<Ⅱ>第34講―ねばり」で書かれている「ねばり」と「意志」と「根気」のニュアンスの違いと、第一関門では三割あたりで飽きが来るところを「意志」で乗り越え、第二関門では六割あたりのところで心身ともにへたりこむところを「根気」で持ちこたえ、第三関門では八割くらいのところで疲れも飽きも同時に来て一息ついたらもう進めなくなるところを這ってでも進む「ねばり」が必要になる、という例えは面白く、最後の「ねばり」があるかないかで確かに人の明暗が分かれるなと確かに思います。