【<中東>の考え方】
酒井 啓子 (著)
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○第1章 石油の海に浮かぶ国々
・なぜ「中東」というか?⇒大英帝国がこの地域に「Middle East」と名付けた⇒ヨーロッパと植民地インドの間、という意味
・UAE(アラブ首長国連邦)は大英帝国の仲裁(実質は砲艦外交)により一部の部族を支援して成立
・サウジアラビアは独立を保ちながら「イスラムの盟主」となった。
(歴史)ワッハーブ派とサウード家が手を結ぶ⇒イギリスは支援するはずが現地と本国で意見が分かれ、ハーシム家のフサインを支援することに⇒結局イギリスはヨルダンとイラクの王家にハーシム家を立てたがサウジアラビアはサウード家が統治
⇒イギリスとは関係が改善しないうちにアメリカが介入し、アメリカとの蜜月が続くことに。
⇒石油により得た資金を非産油国等に投入し、「イスラムの盟主」の地位を確保。
・産油国は外国人で成立している⇒自国民はクウェートやカタールでは3割、UAEでは2割しかいない。
・宗派や国籍で大きな格差があるが、政治の不安定につながらない⇒石油収入をばらまく「レンティア国家(不労所得で成り立つ国家)」であるため。
・産油国では国軍を拡充しない⇒軍人の政治介入を避けるため⇒地域大国に金銭的援助で代わりにがんばってもらう
⇒イラクがこの代表となり、それが湾岸戦争の引き金となった。
○第2章 パレスチナ問題とは何か
・アラブ人とは・・・自分もしくは先祖がアラビア半島出身でアラビア語が母語でイスラムの文明資産を継承する人
・大英帝国の三枚舌外交・・・ハーシム家にアラブの独立を約束(フサイン・マクマホン協定)、ユダヤ人に建国の約束(バルフォア宣言)、オスマン帝国領土を英仏露で分割統治する約束(サイクス・ピコ条約)
・汎イスラム主義・・・ジャマールッディーン・アフガーニー(イスラム世界の坂本龍馬)が唱えた現実を見据えたイスラム主義⇒アラブ民族の独立を喚起⇒英仏による「人工的な国分け」で国境⇒反発してアラブ民族主義の政党(バアス党)がシリアやイラクで政権党に。
・イスラエル建国・・・シオニズム思想によるユダヤ人国家樹立⇒宗教上約束の地であるエルサレムが国民統合のシンボルに
⇒元々住んでいたアラブ人との衝突⇒「国民」概念が地域単位(アラブ側)と宗教単位(ユダヤ側)でそもそもずれている。
・「戦争」⇒「ゲリラ」⇒「テロ」・・・規模の矮小化。非対称化。
・PLO(パレスチナ解放機構)・・・隣国ヨルダンに拠点を構えてゲリラ活動
・オスロ合意(パレスチナを準国家として認めた)⇒但し、占領地・自治地域を細切れにして一体性を失う⇒パレスチナ側は納得いかない
・ハマス・・・イスラム主義勢力で軍事組織を持ち、かつNGO的活動で現地住民の支持を得ている。
・アメリカとイスラエルの蜜月・・・冷戦後もなぜか続くのはイスラエル・ロビーの影響?実益がよくわからない?
○第3章 冷戦という時代があった
・二大ボスが世界を回した時代・・・アメリカ(自由主義・資本主義)とソ連(共産主義・社会主義)の対立
⇒直接は戦わないが、子分が代理戦争⇒冷戦と言われる所以。
・冷戦のゴミが中東に残された・・・大量破壊兵器と各地で利用したギャング(ビン・ラーディンやサダム・フセインなど)
・超大国操作技術・・・どちらかにつくのではなく、両国の間で自分たちのポジションを確保しようとする。
・冷戦期に叩き込まれた「二大ボスキャラの戦い」・・・冷戦後、アメリカの対極としてイスラム世界が「仮想敵」に
・冷戦時代、ソ連の南下をどこで防ぐか⇒北辺ではトルコとイランが国境を接していた。
(ロシア時代も同様の構造があった。)
・イランは「湾岸の憲兵」として米英に代わりペルシア湾岸の安全保障を担う。
⇒イラン石油の国有化法案可決に対し、CIAを使ってモサデック首相を引きずり下ろし、親米一辺倒のシャー政権を復活させた。
・イラクで革命が起きて社会主義政権になり、イラン・イラク間で民族対立に東西冷戦構造も絡むことになった。
・1979年にイラン革命が起こり、完全に対ソ連防衛網が崩れる。
・中東ではソ連はアメリカ向けの「当て馬」として利用された。
・ソ連のアフガニスタン侵攻・・・王政打倒により共産主義政権が成立したが、事態を収拾できない政権がソ連に支援を求め、それに応じて軍事介入
・サウジアラビアとパキスタンがパートナーになり、アフガニスタンからソ連を追い出す方向で協力(サウジアラビアが財力を出し、パキスタンが軍事力を出す)⇒アラブ・アフガンの形成⇒ビン・ラーディンもこの時にアフガニスタンに。⇒アルカイダとなる。
・「アフリカの角」ソマリア・・・サファリ・クラブ(エジプトとモロッコが武器と人を集め、サウジアラビアが資金を提供)が対ソ連活動を支援。
・アメリカの「地平線のかなた」作戦・・・中東から離れたインド洋のディエゴガルシア島(インドから南に下った位置にある小島)に基地を置く。⇒直接介入を避ける。
・9.11事件からまた直接介入に(2003年のイラク戦争)
・中東各国は冷戦時代の超大国の顔色を伺う状況から脱却する方向にある。⇒イスラム主義勢力の台頭。
○第4章 イランとイスラム主義 ―イスラムを掲げる人々
・イランで実現したイスラム共和政⇒欧米政策の行き詰まりに対して人々が民主化を求めた結果。
・契機はイスラム法学者の危機意識⇒自ら「文化」を生み出す。
・イラン革命・・・最初からイスラム革命ではなかった(共産主義者等、数多くの路線対立があった)⇒庶民の日常生活に密着していたイスラム法学者たちの影響力がイスラム主義を革命の中心に
・アメリカが「大悪魔」・・・イランの価値を認めないアメリカに対する反発
・ハタミ大統領の「微笑み外交」・・・欧米諸国への協調路線⇒但し功を奏さず、アメリカのILSA法(イラン・リビア制裁強化法)は解除されない⇒2002年には一般教書演説で「悪の枢軸」と指定された。
・アフマディネジャド大統領・・・わかりやすい発言で当選(ブッシュ大統領と同じ路線)
⇒「救世主と交信できる」と吹聴
・ヒスボラ、ハマス、ムスリム同胞団・・・NGO的活動で民衆の支持を得ている。
○終章 メディアとアイデンティティー
・アラビア語放送「アルジャジャーラ」⇒BBCのアラブ人ジャーナリストたちがカタールの首長の支持を得て1996年に設立。
・インターネットの普及・・・2000年以降、爆発的にインターネット利用人口が増大している。
⇒バーチャルな連帯が発生。デメリットとして現地とネットのギャップも。(「PCの前に座ってしか声をあげない人」発生)