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【物語 ベルギーの歴史―ヨーロッパの十字路】レポート

【物語 ベルギーの歴史―ヨーロッパの十字路】
松尾 秀哉 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121022793/

○この本を一言で表すと?

 多言語、多文化のベルギーの苦難を伴った通史の本

○この本を読んで興味深かった点・考えたこと

・ベルギーと言えば、チョコレート、EU本部、ちょこちょこ世界史に出てくる、といったイメージしかありませんでしたが、地域としての歴史、国家の成り立ちや世界のなかでの立ち位置などがこの本でかなり理解できたような気がしました。
言語問題についても、フランス語圏とオランダ語圏に分かれていることは別の本で読んで知っていましたが、そのことがかなり重要で分裂危機に何度も陥ったことなどは初めて知りました。

・戦後に全体の半分ほど割かれていて、ベルギーの現代史についてかなり詳しく書かれていたと思います。

序章 ベルギー前史

・カエサルのガリア征服で最も手ごわかったのが現在の国名の元にもなっているベルガエ人だったこと、統治者が変わることで自然と多言語地域になっていったこと、スペイン王にもなったカール5世(カルロス1世)がベルギーのフランデレン生まれだったこと、ネーデルラントとして現在のオランダとベルギーは同じ政治カテゴリーにあったものの、宗教的にカトリックの多い南部とカルヴァン派の多い北部で対立していて、南部のベルギーは同じカトリックのスペインの方がマシだということもあって、スペイン支配下にあったこと、フランス革命をきっかけにブラバント革命を起こし、ベルギー共和国になったこと、その後フランスに征服されたこと、ナポレオン失脚後にネーデルラント連合王国としてまたオランダと統一国家を形成させられたこと、ウィレム1世のベルギー地域よりオランダ地域を優遇する政策で不満が高まっていたことが書かれていました。

第1章 ベルギー独立

・オペラ「ポルティチの物言わぬ娘」の「聖なる祖国愛」という歌声に鼓舞されて音楽革命と呼ばれる独立革命が起こり、オランダ王家出身の王を嫌がりフランス王家からと望んだものの、イギリスの思惑で成り立たず、神聖ローマ帝国出身のレオポルド1世がベルギーの初代国王になったそうです。

・共和制に近い、国王の権力をかなり弱めた制度の中で、レオポルド1世により組閣担当者を国王が指名するという仕組みが導入され、現代にまで至っているそうです。
この頃からオランダ語とフランス語の言語問題があったそうですが、建国当時はフランス語を公用語として進められていたそうです。
緩衝地域として永世中立国とされたものの、レオポルド1世がフランデレン地方のオランダ語を擁護したこともあり、2言語地域の対立は建国当初からあったようです。

第2章 帝国主義と民主主義

・政教分離に対抗するカトリック系の学校紛争、労働運動からの大暴動などがあり、ワロン地域では社会主義、フランデレンではカトリック、ブリュッセルでは自由主義が強くなるなど、柱状化社会になっていったそうです。

・オランダ語を重視したレオポルド1世に対して、レオポルド2世は側近からオランダ語を遠ざけられ、オランダ語を話さなかったためにフランデレン運動が活発化したこと、不人気を気にしてオランダ語を使い始めたら今度はワロン地域から不人気になったことなど、現代にまで至るこの2地域の中で揺れる国家としての姿は建国当初からだったのだなと思いました。
このレオポルド2世は他国のように植民地を保有することを夢見ていて、私費を投じてコンゴ地域を植民地とし、他の植民地国家と比較しても苛烈な支配を行っていたことは、別の本でも書かれていましたが、人種的な偏見と即効性のある結果を求める者が統治者になるとここまでひどくなるのかなと思いました。

・ドイツにフランス攻撃に協力しなければベルギーを征服すると脅されたり、周囲で国家間の対立があると間に挟まれた国は舵取りが難しくなるなと思いました。

第3章 二つの大戦と国王問題

・第一次世界大戦の開戦からすぐに、ドイツから通行させろと脅され、「ベルギーは国だ。道ではない!」としてドイツと闘い、リエージュの戦いで敗北しながらも、ドイツの予定を2日遅らせ、戦争の行方を変えたというのは興味深い話だなと思いました。

・ドイツに占領され、ワロン地域が主に被害に遭い、フランデレン地域から徴兵されたものの軍内部ではフランス語が使用されていたことでフランデレン地域において独立の動きがあり、第一次世界大戦終戦後はその独立が取り消されるなど、この時代以降も言語問題が国を割ることがこれほどよく登場する国も珍しいなと思いました。

・1930年に人気のあったアルベール1世が趣味の登山中に遭難死してしまったことでベルギーの経済、社会、政治が暗転していき、後を継いだレオポルド3世がフランス語とオランダ語の両語で即位挨拶を行うとフランデレン主義者が活発化し、それに対する社会主義者も活発化し、両派のデモであふれるなど、大変な事態になっていたそうです。
即位してから1年後、レオポルド3世がドライブ中に事故を起こし、アストリッド妃が亡くなり、弟シャルルは焼き菓子屋の娘と結婚したいと言い出して断絶状態になり、孤独になったそうです。

・レオポルド3世の行き過ぎた中立政策で、ドイツがベルギーに侵攻することを確信したイギリス・フランスが軍隊の常駐を求めた時に断り、ベルギー内のフランデレン活動家、共産主義者を検挙し、ユダヤ人を追い出し、その後ドイツに侵攻され、無条件降伏したことで国内でも裏切り者扱いされたことは、理想と現実のバランスを失った統治者の末路のように思えました。

第4章 戦後復興期

・戦後、レオポルド3世の復位が国内で猛反対され、息子のボードゥアン1世が即位することでベルギーの統一ができたこと、レオポルド3世が平民と再婚し、ボードゥアン1世と継母のリリアンの仲が世間で疑われ、ボードゥアン1世が政治にあまり参加しなかったことで議会がベルギー政治を引っ張っていったそうです。

・欧州の中で主要な位置を占めるために外交を活発化させ、国際連合総会の議長になったスパークECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)の設立を主導し、EEC(欧州経済共同体)とEURATOM(欧州原子力共同体)の設立のローマ条約の締結までこぎつけ、ヨーロッパの首都としての重要な会議の開催地をブリュッセルにするなど、かなりの成果を出していることが印象的でした。

・戦後もコンゴの支配を続け、今後から得られた収入で復興できたという一面もあり、植民地で亡くなった後も介入を続け、コンゴ動乱やルワンダ紛争の原因になるなど、ベルギーの負の影響がアフリカで大きかったことも印象に残りました。

第5章 連邦国家への道

・フランデレン地方がワロン地方に比べて経済が活発化し、ワロン運動が起こるなど、やはり言語問題で国内が乱れ、言語境界線を定めるようになったこと、ブリュッセルを両語地域としてフランデレンとワロンの連邦国家となったこと、それでも言語問題は収まらなかったことは、本当に根深いなと思いました。

第6章 分裂危機

・ボードゥアン1世が亡くなり、夫婦そろって遊び人の弟アルベール2世が即位し、王室費を遊興に使いまくったことから王室の立場も見直そうという流れになったのは当然の動きのように思えました。

・連邦国家になった後もオランダ語話者とフランス語話者の境界が微妙な地域についての争いが激しくなり、分離主義者が活発化するなど、どこまでも言語問題が付いて回る国だなと思いました。

・コラムに出てきた欧州議会初代常任議長でベルギー首相にもなったファンロンパイが日本通の俳句好きというのは面白いなと思いました。

終章 「合意の政治」のゆくえ

・言語問題や宗教問題など様々なトラブルを合意で何とかしてきた国家が、EUの縮図として最後に例えられていましたが、結構的を射ているなと思いました。