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【物語 オランダの歴史 – 大航海時代から「寛容」国家の現代まで】レポート

【物語 オランダの歴史 – 大航海時代から「寛容」国家の現代まで】
桜田 美津夫 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121024346/

○この本を一言で表すと?

 オランダの建国前から現代に至るまでの通史の本

○この本を読んで興味深かった点・考えたこと

・オランダについては、ヨーロッパ、東南アジア、日本等の他の国の歴史にも絡んでくるのでそこそこ触れたことがあったと思いましたが、通史としてみると初めて知ることがたくさんあり、オランダ内部でも外部からの影響でもかなりの変化、危機に耐えて今に至るのだなと思いました。

・オランダと言えばチューリップバブル、というくらい自分にとってはイメージが強かったのですが、この本では出てきませんでした。それほど国家としては影響を受けなかったのか知りたいなと思いました。

第1章 反スペインと低地諸州の結集

・スペイン王を兼ねたカール5世(カルロス1世)の後を継いだフェリーペ2世がカトリックの異端者取締りに励み、拠点を今のオランダに位置する低地諸州においていたこと、カール5世とフェリーペ2世に重用されていたオランイェ公が、スペイン軍が異端取締りに使われることを危惧してフェリーペ2世と対立に向かったことなど、立ち位置が目まぐるしく変わっているなと思いました。

・請願書を出した下級貴族が物乞い扱いされたことを受けて積極的に物乞いを党派名に採用し、活発化する流れは面白いなと思いました。

・オランイェ公が暗殺されてからスペインがイギリスとの海戦で敗北し、フランスとも対立したことからオランダが手薄になり、独立を勝ち取った流れは、それまで一進一退だった状況が一気に傾いたように思えました。

第2章 共和国の黄金時代

・独立した後は州議会とオランイェ公の血筋の州総督が権力争いをする体制になっていたことは初めて知りました。
他国と違って絶対王政には向かわずに議会制になったこと、一気に独立に向かった割にははっきりした制度を構築できたことは興味深いなと思いました。

・共和国となる根拠として、バターフ人の直接の子孫であるという神話があり、時代を超えてこの神話が活用されていくのは興味深いなと思いました。

・17世紀以降のオランダというと商業のイメージがありますが、貿易の拠点となり、産業も盛んになったことで大国に対抗できるようになったというのはイメージ通りだなと思いました。

・外部との争いが落ち着いたら内部抗争が活発化し、その中で収監された「国際法の父」のグロティウスが妻マリアの気転で書物用の長櫃に隠れる訓練をして脱出し、大工に変装してパリに亡命した話が面白いなと思いました。

・レモンストラント派を中心に「寛容さ」を尊ぶ気風が、経済発展による世俗化も相俟って進み、異なる宗派同士の会合が行われたり、後のオランダの宗教的自由の芽がこの頃に生まれていたのだなと思いました。
特にユダヤ人に寛容で集まってきていたこと、芸術や科学もオランダで花開いたことなど、他の場所に比べてゆとりのある地域は文化的にも活性化するのだなと思いました。

第3章 英仏との戦争、国制の変転

・第1次~第3次の英蘭戦争など、イギリスとの戦争が続き、オランダが第1次は痛み分け、第2次は勝利、第3次は敗北、と規模の異なる国家とやり合えているのはすごいなと思いました。

・当時のオランダの州法律顧問という立場で主導していたデウィットが対立するオランイェ派の暴徒に襲われて惨殺されたのは、民衆の理解を重視しない性質があったとはいえ、悲劇的だなともいました。

・デウィットの後はオランイェ公の血筋のウィレム3世~5世が主導することになったそうですが、マリア・テレジアやフリードリヒ大王が活躍する時代の舵取りは大変だったろうなと思いました。

・オランダがアメリカ独立戦争を支援して、イギリスと対立して海戦で敗北した後、バターフ共和国になり、その後でナポレオンの弟ルイ・ボナパルトを国王とするオランダ王国になり、その4年後にフランスに併合される流れは移り変わりが激しいなと思いました。

第4章 オランダ人の海外進出と日本

・ポルトガルがスペインに併合されたことを主な要因として、オランダはポルトガルを介したアジア物産入手が困難になったために自身で海外進出するようになったというのは、大航海時代の始まりがイスラム圏を避けるためだった説と似ていて面白いなと思いました。
世界を股にかけるオランダの航路がかなり冒険的だなと思いました。世界史の教科書などでオランダの国土に比べて植民地の広さがすごいなと思ったことがありましたが、この冒険の結果、特に東南アジアで拡大していったのだなと思いました。

・日本にポルトガル人が来航して根付いた後で、オランダが巻き返した理由は、オランダが宗教的に自由で世俗的であったからと別の本で読んだことがありましたが、徳川家康仕えていたオランダ人がいて、島原の乱でオランダの船舶から砲撃で支援するなどの具体的な行動もあり、カトリック布教に熱心なポルトガル人が追放され、その後釜としてヨーロッパの中では独占的に取引できるようになったというのは、信頼関係の醸成が継続的に行われていて興味深いなと思いました。
東南アジアではかなり強圧的な対応をしていながら、相手によって手段を変えるのも強かさかなと思いました。

・オランダ語が簡単な言葉の合成で科学の単語が作られているため、日本人にとっても学びやすかったというのは別の本で読みましたが、確かにその通りだなと改めて思いました。
この学びやすさは、日本人が西洋の知識を習得する上でかなり大きな要因だったのだろうなと思いました。

第5章 ナポレオン失脚後の王国成立

・ナポレオン失脚後にフランスの北の重石になることを目的に、イギリス主導でオランダがまた王国として独立し、今のベルギーと東の植民地を併せ持つ国家となったというのは、イギリスが直接手を出さずに大陸の勢力を拮抗させるうまい手だなと思いました。

・初代国王となったウィレム1世が北の現オランダ寄りの政策を採ったことから南の現ベルギーで反発が起き、ベルギー独立に繋がり、ウィレム1世以外はオランダを含めてそれを許容する流れで割とあっさり独立が決まったことが印象的でした。
ウィレム1世の政策が南北の融和に繋がるものであれば統一国家としてまた違った歴史の流れになったのかもしれないなと思いました。

・ジャワ戦争、アチェ戦争で東南アジアの統治を進め、強制栽培制度を導入して搾取していくことなど、典型的な植民地国家としての動きが見られるなと思いました。

・ウィレム2世が豹変して権威主義的な統治から自由主義的な統治に急に切り替え、王としての権力を手放し、近代的な憲法が施行されたことは、トップの意思決定が国全体を変えるということかなと思いました。

・ウィレム2世の時代の実務を執り行っていたトルベッケとその妻アーデルハイトの話、トルベッケの晩年に手紙を送り、オランダ初の女子大学生になったアレッタ・ヤーコプスの話は興味深いなと思いました。

第6章 母と娘、二つの世界大戦

・政教分離が進んだオランダで、カルヴァン派教会の影響が弱まり、宗派立の私立学校に国庫補助がなされないようにする法律が施行され、長く続く「学校闘争」に繋がり、キリスト教の各宗派が団結して反革命勢力になるなどの流れが書かれていました。

・第一次世界大戦では中立国となったものの、ドイツが国境を脅かすと兵を集めて対抗し、そのおかげで国家としての団結が生まれた流れも書かれていました。
この第一次世界大戦の終盤から戦後まで、オランダは柱状社会化し、カルヴァン派、カトリック、社会民主主義者、自由主義者の四つの部分社会が並立するようになったそうです。

・第二次世界大戦では1940年にドイツに占領され、ユダヤ人狩りが行われ、1944年から1945年にかけて酷寒と食糧難が重なって約2万人のオランダ人が死亡するなど、苦しい立場に置かれていたそうです。

第7章 オランダ再生へ

・戦後すぐにインドネシア独立の動きがあり、今度はオランダがナチスドイツのように現地を攻撃し、その後アメリカの圧力もあって1949年に植民地放棄に至ったそうです。

・戦争で経済的にもかなりの打撃を受けたオランダでは福祉政策の実施と、マーシャルプランによる資金投入で復興していったようです。

・1953年の洪水被害は、インフラ投資まで資金が回らなかったとはいえ、低地国のリスクに対処ができなかったことで甚大な被害を受けた典型例で、他の国でも日本でも同じような例があり、どれだけ事例が上がっても目先の政策が回っていなければ潜在的なリスクは疎かになりがちなのかなと思いました。
その後の現在に至るまでの政治の流れが書かれていましたが、印象的だったのはチェルノブイリの原発事故の影響がかなり大きかったことでした。

○つっこみどころ

・ページ数の割に内容がぎっしり詰まっていて、読み終わった後に要点をまとめるのにかなり苦労しました。
ページ数が増えてもいいので章ごとにまとめのパートなどがあれば理解しやすいのに、と思いました。