• 様々な本、様々な資格の話が盛りだくさん(の予定)

【大久保利通】レポート

【大久保利通】
毛利 敏彦 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121001907/

○この本を一言で表すと?

 大久保利通の育った環境から亡くなるまで、その挫折や成功のプロセスを書いた本

○面白かったこと・考えたこと

・大久保利通のことはある程度薩摩藩でそれなりの立場に立ったところからしかあまり知らず、また他の人物のことをメインで書く中での文章でしか知りませんでしたが、この本で生まれから頭角を現すまでのプロセスを知ることができました。

・幕末や明治の人物で有名な人物は派手だったり、行動が極端だったりする人物が多いですが、大久保利通のように堅実でしかも粘り強さをもった人物が最初から最後まで意思貫徹して物事を達成していくプロセスは今の時代でも活きると思いました。

・西郷隆盛など、目立つ人物の裏方として書かれがちな人物ですが、そういった書かれ方をしていても実績を残していた人物なのだろうなと思っていました。
その想定以上にまだそれほどの立場でないときから実績を残し続けていてすごいなと思いました。

Ⅰ 政治家への道

・大久保利通の家がお由羅騒動で失脚し、大久保利通自身も謹慎の身で借金暮らしをしながら精忠組の面々と付き合いがあり、その生活の中で後に生きる人格を形成していたというのは、苦労した者がその経験を活かして成功する典型パターンのようだなと思いました。

・島津斉彬が名君で先見の明があったというのはいろいろな本で出てきましたが、その具体的な実績はすごいなと思いました。
どういう成長の仕方をすればこういう人物ができあがるのか、興味深いです。

・大久保利通が島津久光に近付くため、囲碁を始めたというのは迂遠に見えて最短距離をいく出世手段だったのだろうなと思いました。
現代でも仕事からより趣味で近付く方がいろいろな階層の人と付き合えるように思います。

・司馬遼太郎の小説だと島津久光は島津斉彬への劣等感からその政策を全否定していたというような描写がされていました。島津久光が島津斉彬の既定路線を進んでいたというのは驚きですが、その方が納得できるなと思いました。

Ⅱ 全国政局への登場

・薩英戦争があって、それで薩摩は攘夷から開国に転換したと思っていましたが、元々開国を目指していたところで生麦事件があり、イギリスが薩摩を攘夷の先鋒と見なして攻めたという経緯は初めて知りました。

・薩英戦争で大阪商工会議所の初代会頭の五代友厚が捕虜になっていたということは初めて知りました。

・公武合体を目指したのは土佐藩の印象が強かったですが、薩摩藩の島津久光と大久保利通が強く進めていた運動だったということは初めて知りました。
幕末の動きの結構早い段階で大久保利通が京都などで動いていたというのは、その後の活動も含めて先に実績を積み重ねていって土台を築いていける先行者利益のようなものを得ていたのかなと思いました。

Ⅲ 統一国家をめざして

・西郷隆盛が活躍していたことは有名ですが、五代友厚が富国強兵政策のための上申書を作成し、それがほとんど取り入れられたことで薩摩藩が強大になったということはあまり知りませんでした。

・大久保利通が幕府を追い落とすための運動を京都で何度も繰り広げ、それを後の最後の将軍になる一橋慶喜が尽く阻止していたというのは、この時期にそれだけの動きができた大久保利通のすごさと、それを阻止できた一橋慶喜のすごさが、この時代の人物の行動として際立っているなと思いました。
特に一橋慶喜はその後の戊辰戦争などでの悪評価に比べてかなり活躍しているなと思いました。
クーデターのような形で京都の情勢をひっくり返し、様々な利害関係者の中で関係者の調整と計画の実行を実践した大久保利通の苦労が忍ばれ、その結果を出す能力はすごいなと思いました。

Ⅳ 明治国家の形成

・幕府の大政奉還のために手詰まりとなった武力討幕派の打開策として、西郷隆盛が江戸で戦争挑発活動を行い、怒った幕府側が薩摩藩の藩邸を焼き討ちしたことで開戦の口実を作ったというのは、すごい起死回生策だなと思いました。

・明治天皇の東遷について大久保利通が説得して動かしたというのは、その時の大久保利通にそれだけの気迫や権威があったのだろうなと思いました。

・版籍奉還や廃藩置県がスムーズに行われたことは他の歴史の本にも書かれていましたが、幕府側の藩が先に動いたり、各藩の財政が立ち行かなくなるような状態に置いたりと思わぬ好転要因や計算された事前工作の結果だったというのは当時の政府の権力基盤の弱さにおける最高レベルの実績を出しているのではないかと思います。

Ⅴ 大久保独裁へ

・大久保利通が42歳になって自身の学識を高めようと1年半の欧米視察に出たというのは、当時の大久保利通の立場からするとかなり大きな賭けだったのではないかと思いました。
その後その見識を活かした施策を行っていったこと、それを活かしきる前に西南戦争で西郷隆盛が死んだ翌年に暗殺されたというのは、この暗殺がなければ日本の歴史が変わっていたのだろうかと考えさせられました。