【昭和天皇―「理性の君主」の孤独】レポート

【昭和天皇―「理性の君主」の孤独】
古川 隆久 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121021053/

○この本を一言で表すと?

 昭和天皇の生涯を政治との関係を中心に書いた本

○面白かったこと・考えたこと

・様々な文献から昭和天皇の活動や思想が拾い上げられていて、かなり充実した内容の本だと思いました。

・昭和天皇は国体思想などの発生期から最盛期の天皇だったので、ずっと尊重され続けたものだと思っていましたが、民間や軍部から疎まれ、排除されかけたりしているなど、思っていた以上に反対派も多く、苦難があったのだなと思いました。

・太平洋戦争の終戦まで、最高意思決定者は天皇であるという制度である中で、あまり天皇の意思決定で決まることがなかったのが不思議でしたが、無謬の君主である天皇の判断が間違う可能性をなくすために、天皇が判断を下し、公表しようとしても周りが反対し続けていたというのは興味深く、この仕組みが歴史の流れにも影響を与えているというのが面白いなと思いました。

第一章 思想形成

・昭和天皇が幼稚園生活、小学校生活など、他の同年代の子供と全く同じではないとしても一緒に教育されていたというのは興味深いなと思いました。

・高等教育として東宮御学問所の教育で、杉浦重蔵の倫理学、白鳥庫吉の歴史学、清水澄の法制経済学など、国体思想とはかなり異なる帝王学、歴史認識、天皇機関説を学んでいたというのは初めて知り、この時期の思想形成はかなり重要だったのだろうなと思いました。

・後に「自分の花は欧州訪問のときだった」と言って有名になるその欧州訪問でどのように過ごし、その内容が当時の国民にどのように受け入れられていたかが詳しく書かれていて興味深かったです。
将来の天皇が有望であるということが、未来が拓けているように思えた当時の雰囲気がよく分かるような気がしました。

・英国の「君臨すれども統治せず」という体制を理想として、生物学を研究して進化論なども学んでいたことと合せて当時の万世一系説に反する考え方をしていたこと、外交史や国際情勢などにも通暁していたこと、政党政治に期待していたことなどが書かれていて、かなりの能力を身につけていたのだなと思いました。

第二章 天皇となる

・昭和天皇が即位してから5年間の出来事についてまとめられていましたが、時代背景もあってかなり複雑な状況に置かれていたのだなと思いました。

・即位のすぐ後に昭和恐慌が起きて経済的に不安定な状況が続き、田中首相の人事がかなり流動的になっているところで、軍部が中国で張作霖爆殺事件を起こすなど、かなり舵取りが難しい時期だったろうなと思いました。
当時は政務に熱心だった昭和天皇による叱責で田中首相を辞任せざるを得ない状況にするなど、後と比べると介入度合いも大きいなと思いました。

・海軍軍縮のロンドン会議で当時の浜口首相を激励し、平和主義的な考え方で米英との協調を促すなど、国家としての意思決定への介入もこの時代は顕著だなと思いました。
軍部への根回しを怠っていた浜口首相の挙動も重なって、軍部の反感がこの頃からあったというのは後の軍部の動きの芽がこの頃から生まれていたのかなと思えました。

・軍部と繋がっている右翼が宮中側近や浜口首相を襲撃する事件が起こったり、陸軍から昭和天皇の平和主義的考えに対する不満の声が上がったりしていることも、後の時代の動きに繋がっているように思えました。

第三章 理想の挫折

・満州事変が発生し、不拡大方針を表明しながらも軍部の拡大を止められなかったことから、世論まで軍国的な主張をするようになり、平和主義を旨としている昭和天皇の考えとの乖離が大きくなっていく様子が書かれていました。
その中で、徳治主義的な政治思想に反する政党政治に昭和天皇が見切りをつけたのが印象的でした。

・政党政治の政争が国家の舵取りとは関係のないところで激しくなるのは当時も現代も変わらないのだなと思いました。

・他の皇族も軍部や右翼の考え方に強調し、関東軍が中国での活動を拡大し、満州国への国際連盟の対日勧告が決議されたことで国際連盟を脱退することになるなど、事態が進む中で関東軍のトップだった本庄繁が侍従長になり、牧野内大臣が辞職するなど、宮中でも孤立を深めていく様子が詳しく書かれていました。

・二・二六事件が発生した時も、陸軍の責任を追及する文章を考えてもその内容がかなり柔らかくされて公表されるなど、昭和天皇の影響力が弱まっている様子も見てとれました。

第四章 苦悩の「聖断」

・昭和天皇が近衛首相を信頼して任せていたことが日中戦争早期収拾を不可能にすることに繋がるという、もちろんそれ以外の要因もあると思いますが、一つの失敗が際限なく拡大していく様子は悲劇的だなと思いました。

・内大臣の木戸幸一が昭和天皇の戦争不拡大の考えに常に批判的で不満を漏らし続けていたことなど、周囲に味方がいない状態が続くのは大変だったろうなと思いました。
その中で1939年に昭和天皇が自身で陸軍を統制するという考えを表明していたのが他の記述の中でも異彩を放っているなと思いました。

・ドイツの快進撃に昭和天皇もショックを受けて、それまで米英との協調を主張し続けたのを引っ込めたことは、当時よほどインパクトのあった出来事だったのだろうなと思いました。
今から考えれば利害得失からしてドイツと組むメリットはほとんどなかったように思えますが、情報の濃淡が政治判断に影響を与えること、国際情勢を掴むことの困難さなどがわかるような気がしました。

・対米開戦の決意に至る流れでも、落としどころにローマ法王の仲裁まで検討に入れるなど、明確でないままに決定することになり、早期終結を前提とした開戦でもその後の流れはうまくいかず、というのは当時の選択肢の少なさもあってその苦しさが伝わってくるように思いました。

・無条件降伏の「聖断」を下し、終戦に繋がるまでの流れが詳しく書かれていて興味深かったです。
クーデターで狙われるリスクがかなり高い状態で意思決定を下すことができたのはすごいなと思いました。

・軍部では天皇崇拝からではなく、国体思想を利用する立場で割と始めの方から終戦まであり続けたというのも印象的でした。

第五章 戦後

・戦後の流れは他の本で読んだ内容と重複するところも多かったですが、退位せずに留意したことで、日本国憲法が暫定的なものではなくなった、という説が印象的でした。

・占領期に昭和天皇が政治的な発言を多くしていたというのも興味深かったです。
その後も歴代首相からの内奏が続けられ、コメントしていたことも、政治の意思決定そのものに影響を与えていたかはわかりませんが、何かしらの影響はあったのかもしれないなともいました。

・訪欧、訪米、植民地への謝罪など、様々な場所への訪問や活動は、戦時の意思決定や不作為への反省から出た面もありそうだなと思いました。

・最後の、崩御後に机の引き出しから出てきた皇太子時代の訪欧時の切符の話は、いつの時代が幸せだったのかを証明しているようで印象深いなと思いました。

○つっこみどころ

・2、3ヶ所「昭和天皇がこう行動していれば歴史が変わっていた」的な内容が書かれていましたが、歴史を後から眺めて批判する視点で少し非現実的かなと思えました。

タイトルとURLをコピーしました