【東海道中膝栗毛】レポート

【東海道中膝栗毛 上】
十返舎 一九 (著), 麻生 磯次 (校注)
https://www.amazon.co.jp/dp/4003022718/

【東海道中膝栗毛 下】
十返舎 一九 (著), 麻生 磯次 (校注)
https://www.amazon.co.jp/dp/4003022726/

○この本を一言で表すと?

 今でいうマンガに当たる江戸時代の滑稽本

○面白かったこと・考えたこと

・よく聞く「弥次喜多」の弥次郎兵衛と喜多八の道中で、どちらかがいたずらを考えたり、誰かを騙そうとして、その相手にうまくしてやられたり、大失敗したりする、というドタバタパターンが最初から最後まで続いていて、お決まりのパターンながら、最後まで面白く読めました。

・現代の倫理や道徳とは違う時代で、それなりにうまく回っているという江戸時代の世の中の模様が見えたように思いました。
いわゆる人格者というような人物はほとんどおらず、誰もが好きなように生きて、それでもどうにかなっている感覚は、この時代ならではの感覚で面白いなと思いました。

・痛い目を見ても、それを笑いに変える文化は、「逝きし世の面影」に書かれていた外国人が見た日本の姿と一致して、腑に落ちました。
この「せめて笑いが取れれば」的な感覚はどことなく共感できるような気がします。

・東海道の各所の文化や、全体に共通する文化など、その時代の様子がいろいろ分かったように思いました。

・話の掛け合いやいろいろな歌や洒落で話が進んでテンポよく、読んでいてどこか気持ちが軽くなる本だと思いました。

・「おきやがれ」など、この本を読んでいるとよく使われる言葉が頭をめぐり、日常でも使いたくなってきました。

○つっこみどころ

・最初の「発端」だけは他の話とトーンが違い、人死にまで出て悪乗りが過ぎる感じがしました。そのトーンが初編以降も続くのかと思いましたが、初編以降はからっとした笑いのトーンになってほっとしたように思いました。
また、弥次郎兵衛と北八が衆道の仲という設定も発端に書かれているだけで初編以降は全く使われておらず、発端はこの「東海道中膝栗毛」全体にそぐわないように思いました。

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