• 様々な本、様々な資格の話が盛りだくさん(の予定)

【トルコのもう一つの顔】レポート

【トルコのもう一つの顔】
小島 剛一 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121010094/

○この本を一言で表すと?

 1977~1986年の言語学者トルコ旅行記

○この本を読んで興味深かった点

・エルドアン体制以降のトルコについて書かれた本は明るいニュースが盛りだくさんでしたが、エルドアン体制以前の閉鎖された雰囲気のトルコが描かれていて印象的でした。
少数民族が住む田舎がメインで書かれていましたが、憲法第3条で領土と国民の絶対不可分(トルコにはトルコ人しかないこととする)が定められている状況に変化がない以上、現代においてもトルコ語の強制は行われているのかなと思いました。

Ⅰ トルコ人ほど親切な人たちも珍しい

・1977年の著者の貧乏トルコ旅行で、立ち寄った町で冷水、チャイ、ゆで卵、トマト、きゅうり、パン、チーズ、ヨーグルト、オリーブとつぎつぎに出され、「勝手にでてきたけど、どうせ買おうと思ってたからいいか」と思っていたら勘定まで済まされてお土産も持たされたそうです。
その次の町でお金の3分の1を盗まれた時は、町中の人が解決するために奔走し、犯人を捕まえられなかったので、募金をしてお金を集めてくれたそうです。
旅人が珍しいという状況を差し引いてもかなりの親切度だなと思いました。

Ⅱ トルコのもう一つの顔

・もともと公用語が存在しなかったオスマン・トルコからトルコ共和国に変わった時、ケマル・アタテュルクの「民族国家としてのトルコ」という建国理念のため、一部(イスタンブール在住のギリシャ人とアルメニア人)以外はすべてトルコ人であり、トルコ語以外の言葉はトルコに存在しない、ということにされてしまったそうです。

・1977年の旅でクルド人の住む村に行った時も警察などの監視が常にあり、村人も表では「私はトルコ人です」とトルコ語で話すことしかできず、仲良くなって周りに誰もいないときにクルド語で本音を話してくれたそうです。
また、強制移住させられた人が海の向こうに見える故郷に戻ることができない、という事態もざらにあったとか。
現在はどういう状況になっているのか気になりました。

Ⅲ 言語と民族の「るつぼ」

・トルコでは自分の民族を隠している「隠れ民族」ではなく、隠し続けてきて自分が何の民族かわからなくなってしまった「忘れ民族」もいるというのはやるせない話だなと思いました。

・トルコでは「クルド語というものは存在しない」と言われていますが、さらにクルド人の間で「ザザ語は存在しない」と言われているのは、強いものが弱いものを圧する連鎖になっているなと思いました。

・「言語」と「方言」という言葉に明確な境目がないと書かれていて振り返ってみれば確かになと思いました。

Ⅳ デルスィム地方

・同じイスラム教の括りになるものの、スンニ派やシーア派と大きく離れているアレウィー教徒がその違いから迫害されているというのは、近しい宗教だからより憎みあうカトリック対プロテスタントなどの争いに似ているなと思いました。

・アレウィー教でザザ語という宗教と言語の二重の意味で小数集団だったデルスィムが1938年に明確な意図のもとで虐殺されたというのは、ヒトラーのユダヤ人虐殺に似ていて、それよりも単純な「違うから殺す」という論理で怖いなと思いました。
1984年にそのデルスィム地方のオワジュクの民家に泊まっていた著者が憲兵隊に夜中にたたき起こされ、尋問されたというのはまさに監視社会の一面だなと思いました。

Ⅴ Y氏との旅

・トルコの外交官のY氏が国民の3分の1を占めるクルド人の数を知らず、クルド人はイラクやソ連にいるものだと考えていたのは、かなりしっかりした教育を受けた層にも「単一民族国家」の考えが浸透しているのだなと思いました。

・Y氏とトルコからフランスまで車で向かう途中で立ち寄ったところで、都市の美しさの主要条件は元々住んでいたところにより異なる、という話は面白いなと思いました。
メキシコ人の家政婦が「真っ平らだから美しい」と言ったり寺や教会の鐘の音を聞いて「美しい」「喧しい」「恐ろしい」と思ったり。

・著者のクルディスタン独立運動が民族的理由(クルド人自体も多民族・多言語で構成されている)、宗教的理由(スンニ派とアレウィー教が手を結ぶのは不可能)などで不可能という判断は興味深いなと思いました。

Ⅵ トルコ政府の「許可」を得て

・著者が1986年に言語学者として政府に招聘され、監視の下でいろいろ回っていた話と、監視についたトルコの学者の偏見の強さ、著者に「クルド語はトルコ語の方言である」という報告書を何度も強制したことなどは、当時のトルコという国を象徴しているように思いました。