【経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書】
山田 真哉 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4062174332/
○この本を一言で表すと?
歴史好き会計士が最新の歴史的証拠から新しい観点で書いた平家滅亡の本
○よかった点
・学校の歴史の授業や「もういちど読む山川日本史」などを読んで疑問にも思わなかった「貿易で巨万の富を得た」「驕っていたから滅亡した」などの事柄をいろいろな証拠から見つめ直して再検証し、新たな知見を生み出しているのはすごいなと思いました。
・歴史小説などでもこれまで源氏側からのものしか読んでおらず、平家側の背景をあまり知らず、例えば中国地方や九州まで逃げてまた勢力をつけて京都を目指す話も、なぜそういう話になるのかがわからなかったのですが、平家の政治運営の過程を知ることで納得できました。
・本の半分を貨幣経済導入政策が平家興隆と平家滅亡に繋がるプロセスだということに割いているのは思い切りがよくていいなと思いました。(第二章、第三章)
・貿易のリスクを現代でも検討される「カントリー・リスク」「信用リスク」「為替リスク」「シー・ペリル」で検証し直しているのは面白いなと思いました。(P.13~17)
・当時の日宋貿易に日本人が絡んでいないこと(輸出者、海運会社、輸入者が全て宋商人)は意識していませんでしたが、その構造から通常の貿易の利益だけで儲けられるわけではないことはなるほどと思いました。(P.17~19)
・貿易で儲ける3条件(①単価が小さい、②形状が小さい、③量が多い)で考えると、平忠盛の密貿易は条件を満たさず、輸入した「唐物」を贈与することで稼げる役職を手に入れるという戦略はすごいなと思いました。
行動経済学で人間は「社会規範」と「市場規範」の2つのルールで動いているという話があり、売買取引という「市場規範」ではなく贈与取引という「社会規範」が有利であることを見抜いた平忠盛は大した人物だと思いました。(P.28~37)
・大宰府(九州)における実質宋宋貿易から瀬戸内海航路を開発し日本初の人工島を作って大輪田泊(現在の神戸港)で港湾事務は日本側で実施し、当時の最大の消費地である畿内を相手に商売できるという日宋貿易に繋げた平清盛の戦略もすごいなと思いました。(P.38~)
・「なぜ自国の通貨ではなく宋銭を用いたのか?」ということに疑問を持っていませんでしたが、偽造防止のリスク(自国だと通貨製造者自身が偽造もするリスクを排除できなかった)や製造コスト(日本では銅産出量が少ない)ことが原因だということはなるほどなと思いました。
また、和同開珎や富本銭などのが一度流通しながら廃れて物々交換になってまた宋銭による通貨経済に、という流れも初めて知りました。(第二章)
・「末法思想によりお経を長期間保管したいというニーズが高まる⇒銅の経筒のニーズが高まる⇒日本では銅産出量が少ない+直接宋から銅を輸入できない⇒宋銭(銅製)の輸入」と繋がるのは面白いなと思いました。
また、銅自体にニーズがあることが通貨の価値確保の根拠になって宋銭を通貨として流通させることができたというのはなるほどなと思いました。
この時期の背景に、日宋貿易を可能とした平清盛だからこそできたことだなと思いました。(第二章)
・宋銭の供給タイミングが季節限定であることで銭バブルになり、日本で天候変化による農作物が不作だったことなどが重なって一気に銭バブルが崩壊して銭の価値下落に繋がり、それが平家の力を削ぐことになり、平家滅亡につながったという考え方は面白いなと思いました。(第三章)
・薩摩はずっと島津氏が支配しているものと思っていましたが、薩摩平氏の阿多氏という勢力があり、平家(伊勢平氏)の貿易競争相手になりかねないから潰したという話はなるほどなと思いました。(P.192~196)
○つっこみどころ
・第三章の銭バブルと平家滅亡を結びつけているところは面白いと思ったところでもありますが、クーデター後は日本の半分以上、クーデター前でも日本の四分の一程度の知行地を持っていた状態で銭以外の米等の収入要素がどういう状況になっていたのかの考察がないなと思いました。
清盛以外の平家のリーダーシップの問題、軍隊の統率状況の問題、後白河法皇を初めとした皇族との関係、貴族との関係、源氏や平家(伊勢平氏)以外の平氏やその他の武士等とのそれまでの背景などなどの複合的な要素が絡み合っての事であって、「銭バブル崩壊=平家滅亡」という図式は単純すぎるなと思いました。
著者も会計士なのであれば、主要な知行地の資産状況(銭と米、それ以外の割合等)を分析するなどして検証すべきではないかと思いました。(但し、当時の資料が残っていないなどの事情があるかもしれませんが)
・福原遷都は後白河上皇の影響を廃するために平清盛が拠点としていた場所への緊急避難的な説が主流だと思っていましたが、この著者は予め計算してのことと解釈しています。
平清盛が福原の整備に力を入れていたことと費用が少なく抑えるための策というのが根拠ですが、これについては少し強引かなと思いました。
あくまで平家の経済拠点という意味での開発であって最初から政治の拠点として開発していたとは考えにくいなと思います。(P.198~202)