【プロフェッショナルマネジャー】
ハロルド・ジェニーン (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/483345002X/
○第一章 経営に関するセオリーG
セオリーG:ビジネスはもちろん、他のどんなものでも、セオリーなんかで経営できるものではない。
マクレガーのセオリーXとセオリーY⇒両極端すぎる。それそれで完結するはずがない。
日本的経営のセオリーZ⇒日本の文化の前提があって初めて効果が出た。それ自体が唯一の方法ではなく、その時点で日本が突出していただけ。
PPM(プロダクトポートフォリオマネジメント)⇒投資対象じゃないと判断された部署はどうするのか?そもそも2軸のマトリクスで判断する手法は他の要素を無視して意思決定するため、実践に合わない。
「かまどで料理する」やり方がいい⇒目を離さず、風や火の起こりなど、その場の状況パラメータに応じて対応するとうまくいく。人を判断するならその人に仕事を任せてみないと分からない。
(検討)
セオリー「だけ」で経営はできないが、セオリーを吸収して自分なりに実践に移すのはアリだと思います。
ジェニーン氏も財務経理畑でやってきたということは財務経理のセオリーを習得して実践しているはず。
ここで否定しているのは、セオリーXなどのようにそれだけで完結して後は考える必要がないタイプのセオリーであり、セオリー全体を否定しているわけではないと受け止めました。
ここまで極端な書かれ方をしているのは、時代背景として、形式的にセオリーを導入して失敗する事例が多かったせいではないかと思います。
○第二章 経営の秘訣
三行の経営論:
「本を読む時は、始めから終わりへと読む。
ビジネスの経営はそれとは逆だ。
終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ。」
結果を出すことが大事で、その過程は注目されない。また、継続的に結果を出すことが大事で、短期的に結果を出すだけでは意味がない。
決算資料から予測したITTの状況と実際の状況は驚くほど違い、危ないほど利益率が低い状態だった。
・創業者が亡くなって引き継いだリーヴィー将軍は何もやっていなかった。
・海外展開の度合いが大きいが、経営陣は全て国内にいて、そのうち一人だけが海外の対応をしている状態。
・ヨーロッパの子会社はライバル会社と競争するよりももっと激烈に子会社同士で競争していた。(第二次大戦の個人的、感情的敵意により)
・子会社間で研究結果の共有はなく、わざと規格を外して互換性がない状態にされていた。
・就任時をボトムライン(底)として、年10%の成長というストレッチ・ターゲット(もっと伸びる弾力を備えた目標。最低目標。)を設定。
・定めた目標(ゴール)のために組織、経営陣、マネジャーとスタッフを更新した。
(検討)
要約すると、「終わりから考えること」と「現状と目標を見定め、解決するための策を打ち出すこと」が重要、ということかと思います。
前者の終わりから考えるのはプロジェクトマネジメントの基礎ですが、この時には珍しかったのでしょうか?
後者の現在地を把握し、理想の姿を定めて、そのギャップを「問題」としてアプローチするハーバート・サイモンのセオリーに従った「教科書通り」の対応だなと思います。サイモン氏の最初の著作が1965年出版なので、ジェニーン氏の社長就任の時には体系化されていなかったのかもしれません。
前者も後者も概念として知っていても、実践できているかどうかは別なので、ジェニーン氏の言うように「言うは易く、行うは難し」で肝心なのは行うこと、というのには全面的に賛成です。
※柳井氏は三行の経営論に共感してユニクロ一号店を出店したときには次のように考えていた↓(P.310~)
「世界一のカジュアルチェーン」⇒「日本一のカジュアルチェーン」⇒「100店舗の達成と株式公開」
○第三章 経験と金銭的報酬
ビジネスの世界では、だれもが二通りの通貨―金銭と経験―で報酬を支払われる。金は後回しにして、まず経験を取れ。
フーピンガーナー教授の教え:「ビジネスで成功したければ自分の所属する場所で上位20%以上に入ることが必要だ。そうすれば、不景気な時でもレイオフされずに経験を積み続けることができ、景気が回復すればそれまで蓄えた経験のおかげで急速に昇進できる。」
ジェニーン氏の経験:
5歳の時に両親が離婚。女子修道院付属の寄宿学校で過ごす。幼少期でも自分でなにかすることを見つけられると思っていたため、他人に依存しない人格が形成された。
8歳から16歳まで大学入学準備学校で過ごす。
15歳の夏から石版印刷会社のボーイ⇒16歳から21歳まで証券会社のボーイに。
証券会社で様々な証券の動き、投資家の動きを見ることができ、また1929年の大恐慌も経験した。
21歳から図書の訪問販売⇒広告代理店営業⇒証券会社の場立に。
その後石油開発会社の簿記係に。
石油開発会社が解散して会計事務所に採用され、6年勤務。
32歳の時、日本が真珠湾攻撃。海軍、陸軍に士官を希望するが、眼鏡が理由で採用中止に。
監査先だったアメリカ・キャン社が魚雷工場を建設すると聞き、そこで働くことに。
戦争が終了する時期に平時生産へ切り替えるときになって自分の待遇が約束より悪くなっていることに気付き、ベル・アンド・ハウエル社へ。
創業者が亡くなった後にナンバー2になっても自分の待遇が変わらないことで見切りをつけ、J&L社へ。
J&L社に移ってから5年後、ハーバード・ビジネススクールの講座を受講し、その時にレイシオン社から執行副社長でスカウトされる。
レイシオン社の業績を向上させた後、トップが自分に席を譲る気がないことに見切りをつけ、他に職を探していてITT社の社長の打診を受ける。
(検討)
要約すると、与えられた場で最大限努力して上位20%以上の実績を上げ続ければ、経験が蓄積され、能力が高まり、その能力にふさわしい権限が与えられるようになる、ということ。
周りのせいにするのではなく、自身のできることに力点を置いて努力することは、私も正しいと思います。
「7つの習慣」の「インサイド・アウト」「関心の輪と影響の輪」の考えに繋がると思いました。
○第四章 二つの組織
どの会社にも二つの組織がある。ひとつは組織図に書き表される公式のもの。もうひとつは、実際に働いている人たちの日常的な相互関係による非公式のもの。
公式な組織、特に官僚型組織になっていると重要な情報が上まで回ってこなくなる
⇒公式な組織の構造にこだわらない動きが必要になる
⇒ITTでは直接子会社等にもトップマネジメントが顔を出すようになり、子会社の活動をチェックし、口を出す、支援体制を整えた⇒子会社側はしばらく拒否反応を示したが、本社側が自分たちを助けてくれる存在と認識するようになった。
会議では「ノー・サプライズ」という基本ポリシーが生まれた
⇒会議以前の報告書に重要なことが漏れていないようにした。
⇒報告書の内容に不足があれば突き返して書き直させた。
「それは事実か?」と問いかけ続けることで不確定な情報の元に動くことがないようにした。
ITTでトップマネジメントは、39週は外に出ていて残りの13週で会社を経営していたことになる
⇒できるときはいつでもオーバータイムして補った。
(検討)
組織が大きくなると、経営者は現場からの細かい情報を収集することが難しくなり、その状態がひどくなると実態を知らないまま経営することになります。
その解決策として、現場から情報を吸い上げる場を設け、その場が機能するように働きかける、というのは基本的な策だと思います。
ですが、場を設けても機能しないパターンが多いと思われますが、機能するまでアプローチを続けたこと、そこまで現場の情報を重要視していたことは、実績を上げ続けていたジェニーン氏の凄みだなと思いました。
そのためになくなった時間を残業でカバー・・・という根性論はこの時代ならではかな、とも思いました。
また、全てを自分で把握していないと不安、という気持ちはわかりますが、そのために自分が全部動くというやり方以外に、モニタリングの仕組みを構築できるのではないか?とも思いました。
※柳井氏は組織を硬直化させないため、柔軟な人材の異動を心がけた。毎日でも組織図を変えたいとも考えている。(P.314~)
○第五章 経営者の条件
「経営者は経営しなくてはならぬ」という単純極まる信条が、実はあまり実践されていない。
経営する、ということは決めたことを達成することであり、達成したいと思うだけならその人は経営者ではない。
決めたことに対して妥協せず、徹底的に達成を追求する人は、たとえ学生の立場でも経営者である。
品質管理というマイナス面を減らす管理であれば、結構な割合で進んでいるが、収益達成というプラス面の管理では妥協が蔓延している。
ITT社では、もし決めたことが達成できなければ、その達成できなかった原因を徹底的に追求し、解決した。
当事者のマネジャーはもちろん問題を報告したくないが、問題が残れば次の月も報告しなくてはならないため、必死で解決した。解決のために必要な助力が与えられる体制が構築され、そのマネジャーはそういった使えるものすべてを使って解決に挑んだ。
経営者は自分の責任範囲のあらゆる活動をしっかり掌握しなければならない。問題が起こった時に解決するだけでなく、起こる前に対策が取られているようにするために。
ITTでジェニーン氏は情報の正確性を確認することに多くの時間を費やした。マネジメントは、それ自体が誤りという決定をあまりしない。誤った情報に基づく正しい決定がものごとをおかしな方向へ持っていく。
ITTでは経営者と経営の基準を、たいていの人が可能だと思っていたより上のレベルへ上げることで成長した。
(検討)
経営者は結果に責任を持つ、正しい情報がなければ正しい意思決定を下すことはできない、という当たり前だが徹底されていない考え方について書かれていました。
ITTのように250の事業、350の子会社がある中でそれをこなしたジェニーン氏はすごいと思います。
決めたことを実現するためにできるあらゆることを考えて実行する、その行動力を持っている人はいつか何かを成し遂げる人だと思います。
情報の正しさを見極める術は、重要な情報とそうでない情報を見極めること、情報収集のやり方など、今だと少し違うやり方になるかな?とも思います。
でも基本はこのレベルで情報の正しさを追求するべきなのかもしれません。
○第六章 リーダーシップ
MBAを保有している人も、経営管理者ではあってもリーダーではないことが多い。
リーダーシップは生まれつきのものという説があるが、各人の経験を通じて備わるものである。
ジェニーン氏は仕事を刺激的で楽しいものと認識し、徹底的に楽しむために仕事をした。
模範を示すつもりはなかったが、誰よりも長時間働いていることが模範を示す結果となった。
余分に働くことの価値の根拠として1日8時間働く人と1日12時間働く人は、単純に労働時間が1.5倍にあり、1.5倍の経験をしていると考える。
自由で開放的な文化を根付かせるため、自由にボスに反対することができる批判に開放的な文化を作った。
その一方で閉鎖的な文化を根付かせる社内政略を許さなかった。
人を解雇するケースにおいて、その人自身の問題か、自分たちの助力が足りなかったのか、常に自問し続けなくてはならない。
組織の中のものはリーダーに告げ口したりしないが、優秀なエグゼクティブならいずれ気付く。
リーダーシップは言葉より態度において発揮される。
もし、たった一度でもあることを言って問題が起こった時にそれと違うことをするようなことがあれば、部下の敬意と忠誠を永久に失うことになる。
このことはだれにもごまかしは利かず、一度もあったことのない人間についての批評も大概正しい。
命令するのではなく、指導をすることがジェニーン氏のリーダーシップ。命令で恐怖により会社を運営するやり方は、短期的には良い結果を生むかもしれないが、いずれ躓くことになる。
会社を統率する人間は、その会社の人々が彼のために働いているのではなく、彼と一緒に自分のために働いている、ということを認識する必要がある。
リーダーシップは重要であるが可視化が困難である。結果を出すためのリーダーシップは人生と同様、歩みながら学ぶ他ない。
(検討)
リーダーシップは知識ではなく経験しながら学ぶしかないこと、情報の風通しを良くすることが重要であること、言動不一致が経営者への信頼を著しく削ぐことが書かれていました。
リーダーシップ論が無用であるとは思いませんが、知識だけで実践しないのは確かにダメだと思います。
組織としての集合知を活かすためには、命令ではなく指導の方が良いというのは確かにその通りだと思います。
8時間働く人と12時間働く人の例は、要領の良し悪しや効率性の事が考慮に入っていないのでは?と思いました。
※柳井氏は社長でも社員でもパートでも全員が対等であり、その上で開放的な文化を作り上げることが重要と考えている。
社長をサッカーの監督に例えて、ポジション等の割り振りはできても「ここでキックしろ」と命令することはできない、と現場の臨機応変の大切さを述べている。
全員の力を結集するということは、他人の存在を認め、正当に評価すること、と述べている。(P.318~)
○第七章 エグゼクティブの机
机がきれいで有用なエグゼクティブはあり得ない。
机がきれいな理由は、自分では物事を決めずに委任しているか、重要な報告も1,2枚の紙に集約させて意思決定をしているようなことが考えられる。
仕事をしているエグゼクティブの机は、報告書や決算書類等がひっきりなしに届き、散らからないはずがない。
机のきれいなエグゼクティブは「狙撃方式」のような手法を採る。
理論に基づいて優良な投資案件を選び、投資をするが、その回収が目算通りにいくかわからないし、他社も同じようなことを考えて競争になる。
優良な事業だから株価が高く、元手を回収するために必要な労力も高いということに気付かない。
机が散らかっているエグゼクティブは、ピンとくる話があれば自分の目で確認しに行き、即座にアクションを起こして結果を出す。
(検討)
経営者であれば処理中の書類が机に置かれてしかるべきであり、机がきれいなエグゼクティブは仕事ができない人間が多い、というようなことが書かれていました。
メール等のツールがある今では少し違うかもしれませんが、処理中の仕事に関する情報を常に手の届くところにおいて置くことは重要だと思います。
他の章でもありますが、MBA嫌いがこの時代にはっきりしているのは結構珍しかったのかな?と思いました。
※柳井氏は、ロジカルシンキングだけでは人は見えてこない、セオリー信仰に依存してしまうとワンパターンになる、と述べている。(P.323~)
○第八章 最悪の病―エゴチスム
アルコール依存症は企業のエグゼクティブにとって大きな問題であり、当時年間330億ドルがそのために生じた生産性の低下だと言われていた。
しかし、アルコール依存症よりエゴチスム(強い自己愛を含んだ自己中心的な態度)の代価の方がはるかに莫大である。
エゴチスムに支配されたエグゼクティブは、自分の意見以外を信じず、自分を飾るモノや雑誌の記事などを重要視するようになる。
エゴチスムに侵された人物が会社買収案件で妥当な価格より1億ドル以上高い価格で契約を締結したことがあったが、エゴチスムが理由で罷免されなかった。(仮にアルコール依存症が原因ならそれよりはるかに低い損失で罷免される)特に最高経営責任者のエゴチスムは手に負えない。(鎮圧できるものが誰もいないため)
過度のエゴチスムは失敗への極端な恐怖に根ざしていて、それから自分の身を守ることに全力を注ぐ。
人は失敗から物事を学ぶのであり、成功からなにかを学ぶことはめったにない。
成功の意味を考えようとしない。成功は失敗よりずっと扱いにくい。
なぜなら、それをどう扱うかは、まったく本人次第だからである。
(検討)
アルコール依存症の企業にとっての影響と、それより大きなエゴチスムの影響について書かれています。
アルコール依存症で職を追われる人は今でもいますが、エゴチスムで職を追われる人というのはあまり聞いたことがありません。
結果そうだったとしても表にでないものだと思います。
仕事ではなく、コミュニティなどではエゴチスムによりその場を追われる人がいます。
ジェニーン氏は「経営」をせずにメディアへ露出する人たちを別の章でも非難していますが、ここでもエゴチスムに絡めて非難しています。
※柳井氏は、エゴチスム社員を許すのは上司の責任であり、部長なら役員の、役員なら社長の責任だと考えている。
異業種交流会などはやり過ぎても効果はない。
「人脈」といっても、その人が自分を信頼してくれるという状況にならない限り、人脈があるとはいえない。(P.326~)
○第九章 数字が意味するもの
数字が強いる苦行は自由への過程である。
数字は、それ自体は単なる記号だが、その数字が表れる背景を読み取るための道具になる。
その読み取る技術を身に付けるにはひたすら数字を読み続けるしかないが、その上で身に付けることができる能力は、数字を基に判断する自由を与えてくれる。
ITTの経営陣は数字を基に350の子会社の事業の背景や収益・費用・資産・負債などの状況を理解し、経営判断を下すことができ、またその判断の根拠を利害関係者に示すことができた。
(検討)
数字の理解力の向上により得られる判断力について書かれています。
そしてその数字の理解力をつけるには、とにかく数字を読め、と。
簿記や会計論を勉強することである程度ショートカットできそうな気がしますが、そのあたりの記述はでてきませんでした。
個別の状況・時系列背景は結局のところその状況が当てはまる範囲全てをみないとわからないと思いますが。
※柳井氏は、数字の重要さをジェニーン氏と同様に感じて、過去の数字と経営状況を記憶に刻みつけていたそうです。
社長は報告を聞くだけではダメで、自分で数字を読み解くことは必要だとも述べています。
「社会的に認められる企業」「組織で動ける会社」にしようという改革と合わせて「数字による管理」も大きな柱だったそうです。(P.330~)
○第十章 買収と成長
当時、コングロマリットが邪悪なもののように言われていた。
ITTは海外事業が収益の85%を占めていた状況から半分以下にするために、国内事業を拡大する必要があった。
ITT本社の事業とは異なる事業でも、合理的な条件が合致すれば十分考慮に値すると考えていた。
「それは消費者が必然的に買い、将来も買い続ける製品またはサービスを提供しているか?」「それは良い製品か?」「その生産に注ぎ込まれる労力に対して、収益は良好で安定しているか?」「その会社の将来の可能性はどうか?」「その市場は成長に向かっているか?それとも衰える傾向にあるか?」そして何より「ITTの経営技術と大きな資金力によって、その会社に相当な何かをプラスすることができるか?」
合理的な基準の元に進められた買収は、本体も買収された会社も同様の成長率を見せることで成功を証明した。
また、基準に合致しないために買収「しなかった」事業として、コンピュータ系の事業があった。
技術者も投資家もそちらに進出しろと訴えたが、リスクを考慮してその選択肢を排除することで損失を免れた。
コングロマリット(多角化経営)のメリットとして、どんな業種でもサイクルがあり、単一業種だけだと、その業種のサイクルによって収益が上がり下がりする。
多角化により一部の業種の収益が下降傾向にあっても、他の業種の上昇傾向で平準化された。
また、製品の売上が伸びる速度は、下降期にある製品の売れ行きが落ちる速度よりも早いため、全体として上昇傾向を保つことができた。
1965年のABC(放送会社)と1968年のハートフォード保険会社の買収では、世論と政府が敵にまわり、ABCの買収はなかったことになり、ハートフォードの買収は様々な制約条件をつけてようやく認められた。
時代が変わって1980年以降はABCやハートフォードより大きい買収案件でも何も言われなくなった。
コングロマリットそれ自体が悪いのではなく、経営が不良なら、自らの重みのためにつまずき、倒れる。それはコングロマリット以外の会社でも同様である。
(検討)
買収による成長の時に考慮したポイントと、時代背景による苦労についてまとめられています。
本社の事業と全く異なる事業でも、その事業への理解、経営技術などにより成功することは可能であることをジェニーン氏が説明しています。
ABCとハートフォードの話は、ジェニーン氏がよほど悔しかったのか、かなり力を入れて書かれています。
○第十一章 企業家精神
ベンチャー精神を持った企業内企業家はどこにいるか?という答えに対して、ジェニーン氏はそのようなものはどこにもいない、と答えている。
大会社では、株主の権利を侵さないために、冒険的な挑戦はほぼ許されない状況であり、一見冒険的でも3%がそれで97%が安定している事業、というような割合になる。
企業家精神をもった社員がいるなら、経験を積めば自然に出て行って自分で会社を立ち上げる。
社内ベンチャーなどは、結局は上層部の管理下にあり、そのメリットとデメリットを享受しているに過ぎない。
大企業の中では存在があり得ないが、それでも社会としては企業家精神が必要である。
大きなリスクを取り、勝負に出るものがいなければ、その分野の革新が進まない。
企業家精神をもち、事業を興し、成長させた先には、また、企業家のままでいることができない状態に置かれ、企業家ではなくなってしまう。歴史は繰り返される。
(検討)
企業内企業家というものは大会社では存在し得ないこと、大会社でも技術革新等は起こされるが、それは企業家ではなく、いろんな面でサポートされている社員によって起こされること、大企業ではあり得ないが、大企業を設立する存在として企業家の活動が社会にとって重要であることが書かれています。
ジェニーン氏は企業家でないのに企業家と名乗る人たちがうっとうしいのかな?と思わせる章でした。
企業家の重要性にも触れつつ、企業家でなくても社員として功績を為す人を大いに肯定している、そんな印象を受けました。
※柳井氏は、アメリカでは企業家精神と大きな公開会社の哲学とは相反するが、日本では税制上の問題から企業家であろうとする限り株式公開するしかない、と述べている。
また、企業内企業家について、企業家とまではいかなくても「個人稼業」の時代に合わせた制度として「社内FC制度」を導入した。
青色ダイオードの発明者に対する対価として「200億支払え」という判決に対して、企業が開発環境を用意していた中でこれは高すぎる、と考えている。(P.335~)
○第十二章 取締役会
当時のアメリカの取締役会はその機能を果たしていない。(今の日本でいう委員会設置会社では取締役は業務執行権を持たず、最高経営責任者の業務執行を監視する役目を果たしています。)
社外取締役はもらう報酬と社内についての知識不足のために監視の役割を十分に果たせず、最高経営責任者が取締役を兼務することで、よりなぁなぁになっている。
業務監査の仕組みを本格的に導入し、社外取締役はもらっている報酬分しっかりとその職務を果たせば、取締役会と経営陣の良い関係が築けるはず。
(検討)
株主が総会で取締役を選任し、取締役が経営者を選任・監督する、という制度がその運用において機能していないこと、その状況に対する対応策が書かれています。
日本にも同様の委員会設置会社という形がありますが、同じような状況かもしれません。
○第十三章 気になること―結びとして
良い経営の基本的要素は、情緒的な態度である。
機械的要素(MBAが学んでいる理論・知識など)も必要ではあるが、経営の情緒的要素の価値を理解していなければジェニーン氏の言うマネジャーの定義には当てはまらない。
ジェニーン氏は経営について次のようなことを述べている。(P.297~298)
・物事をおこなうには会社の機構を通し、近道をせず、ルールにしたがってやらねばならぬ。しかし、ルールにしたがって「考える」必要はない。
・本来の自分でないものの振りをするな。
・紙に書かれた事実は人々から直接伝えられる事実と同一でないことを銘記せよ。事実そのものと同じぐらい重要なのは、事実を伝える人間の信頼度である。
・本当に重要なことはすべて、自分で発見しなくてはならない。マネジャーには、ストレートな質問に対してストレートな答えを要求する権利があるが、そのためには質問が適切でなくてはならない。
・組織の中の良い連中はマネジャーから質問されるのを待ち受けている。
・物事の革新を付く質問をされるのをいやがるのはインチキな人間に決まっており、インチキな人間を見分けて厄介払いをするのはマネジャーの仕事である。
・どんな問題についても、答えや解決法を、聞かれもしないのに教えてくれる者はいない。
・決定は、とりわけきわどい決定は、マネジャーが、そしてマネジャーのみがおこなわなくてはならない。
・・・これらすべてには、個人として支払わなければならない代価がある。
自分の時間や労力をどれだけ仕事に注ぎ込めるか、定時以降にどれだけ仕事ができるかが重要である。
マネジャーの正規の執務時間は通常他人のためのものであり、それ以降が自分の仕事につかえる時間であるため、マネジャーが残業しないというのは通常考えられない。
レクリエーションは重要であるが、社交だけが目的の交流会などは必要ではなく、ビジネスマンとしての日常の中の交流で十分である。
(検討)
MBAの人たちが身に付けた能力を否定するわけではなく、それ以外に情緒的な態度が必要で、それが大事だと書かれています。
理論に則ってそのまま物事を実行するのではなく、それを実態に合わせて応用することが大事で、自分から型にはまってはいけない、ということかと思います。
あと、マネジャーの正規の執務時間は他人のためにあり、それ以外が自分の仕事をする時間、という意見は、今ではワーカホリックな人と非難されそうですが、確かにそうかもしれないと思わせる説得力があります。
○第十四章 やろう!
実績が重要であり、実績を出さなければ意味がない。
この本の内容も、実践し、実績を出さなければ意味がない。