• 様々な本、様々な資格の話が盛りだくさん(の予定)

【伊藤博文―知の政治家】レポート

【伊藤博文―知の政治家】
瀧井 一博 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121020510/

○この本を一言で表すと?

 伊藤博文の考えた構想と実績について、様々な資料で裏を取って肯定的に評価した本

○面白かったこと・考えたこと

・歴史の教科書や幕末・明治に触れた本などで重要人物と扱われながら賛否両論の評価をされている伊藤博文という人物について、その実績だけでなく、どういう構想の基にどういう活動をして、どのようなことに繋がっていったのかが書かれていて、伊藤博文に対する印象が大きく変わりました。
元々歴史上のキーパーソンの一人だと個人的にも捉えていましたが、「知」の方向からそう捉えることができたのは大きな収穫でした。

第一章 文明との出会い

・伊藤博文の後年の談話で吉田松陰よりも長井雅楽を評価しているのは、漸進主義を自分のベースとして活躍したことを妥当だなと思いました。
P.7の「伊藤の伊藤たる所以は、松陰の影響から脱却した時点から始まると言えよう」という記述も、本全体を読み終えてから振り返るとまさしくと同意できました。

・伊藤博文が大久保利通とともに条約改正交渉をして外国に有利な片務的な条約にするつもりだったのがバレて危うく社会的に抹殺されるところだったこと、それから仲が良かった木戸孝允との仲が一時決裂し、急進的な自己を漸進的に変えていって信頼を取り戻したというのは、自己改革としてはすごいことではないかと思いました。

・章末で伊藤博文が外国と日本の差に気落ちする外遊メンバーの中で外国を恐るるに足りない発言したのは日本がどう変わってきてどう変わっていくのかをある程度見通せていたからかと思いました。

第二章 立憲国家構想

・漸進的に立憲国家への道を進もうとしていたところに大隈重信の急進的な意見書が提出されて加速化されたこと、「立憲」ということが憲法を施行することではなく、憲法を土台とした行政の行為があってこその「憲政」が重要であるというウィーンのシュタインの考え方に出会って確信を持てたというのは、すごいタイミングでベストマッチの考え方に出会えたものだなと思いました。

・憲法を作るという目標があったという話は教科書や他の同じ時代を取り扱った本でも出てきますが、最初から行政のことも考慮して国家構想をしていた伊藤博文はかなり視野が広かったと思います。
シュタインの受け売りだとしてもそれを日本に適応できるように落とし込めたのは伊藤博文の「知」だと思いました。

・欽定憲法として超然主義という建前を置きながら実質としては民主的な体制にしようと最初から考えていたというのは、現状とあるべき姿のギャップである「問題」を解決する問題可決する能力が卓越しているなと思いました。

・「国家はなぜ崩壊するのか」という本で包括的な制度と収奪的な制度の違い、それぞれの国家の違いについて書かれていましたが、権力者のインセンティブが健全な方向に向くか自己の権益の方向に向くかの違いがあるとされていました。
同様に収奪的になれる立場でありながら国家のあるべき形を構想して包括的な制度にする方向に動けた伊藤博文の人間性も凄いなと思いました。

第三章 一八九九年の憲法行脚

・ある機関が専横に陥らないような制度設計とその運用を目指し、不可避的な政党内閣への流れがある中で、全国で憲法についての啓発するための行脚をして、ハードとしての立憲制度とソフトとしての国民政治を備えた文明国への道を目指すという構想は壮大だなと思いました。

・国民が自分の業と政治への関わりの両方を行える、実学による国民の創出をめざし、国民が自分の業に専念することで国家の運営に資する政策知も生まれ、国民が政治に関わりを持つことでその政策知が国家に反映されるというのは、ある意味では今のアメリカの政府と民間企業の人事交流よりもより根強い知識交流を目指していたのだなと思いました。

第四章 知の結社としての立憲政友会

・政党政治の反対者だった伊藤博文が変心して政党の構築・運営に乗り出した、という話はいろいろな本で出てきたように思いますが、変心したのではなく元の考えは一貫しているという著者の説は、その裏付けもしっかりと載せていて説得力があるなと思いました。

・政党が党利党略に走ることが国家のためにならないというのは現代日本においても他国においても当たり前の認識であり、かつ避けられないものという諦めのようなものを個人的に感じていましたが、その政党政治の害悪に対して自分で政党をつくり、勢力を持ちつつ党利党略ではなく党外の者も活用するというのは理想論的ではありますが、ある程度実現手前まで持って行けたのはすごい話だと思いました。
人材を育て、リクルートする団体としての政党という発想は、「国家をよくする」ことを目的とするのであれば至極真っ当なものだと思います。
別の路線で国家の維持継続性のために各党が協力して制度改正に動いたスウェーデンのような事例もありますが、伊藤博文が目指した「国民」が日本全国に浸透していない限りは無理なことなのだろうなと思いました。

第五章 明治国政の確立

・立憲政友会がすぐに躓いてしまったのは、その方向性から仕方のない話だと思いました。伊藤博文が高い理想を持っていても周囲の者でもその理想を共有できないのであれば、当然党利党略の方向、自己の立身出世に意識が向くだろうと思いました。

・伊藤博文が日露同盟の方向で動いていたのはいろいろな本で出てきて、どちらかといえば伊藤博文がとち狂って独断専行で行っていたという書き方をされていましたが、むしろ伊藤博文が国内への連絡を密に保ち、日英同盟を進めていた側が少数の中心人物で独断専行して一気に進めていたというのは自分にとって新しい視点だなと思いました。

・伊藤博文が帝室制度調査局という憲法とは別に皇室を政治から切り離すための制度構築を行う機関で最初の総裁になったというのは初めて知りました。
天皇の機関化と内閣中心の責任政治と軍部の抑制を図る方向で動き、半ば成功していたというのは驚きでした。軍令という例外を作らせずに完成していればその後の日本の動きは大きく変わっていたのだろうなと思いました。

第六章 清末改革と伊藤博文

・伊藤博文が中国へ数ヶ月赴いて、清の各地で歓迎され、清で起ころうとしていた革命を目の当たりにし、貿易等の経済的な関係の構築に動き、その上で清で起ころうとしていた革命の不備等を見抜いてその失敗を予測していたというのは初めて知りました。
清の知識人との交流で、伊藤博文が若い頃から培ってきた儒学や漢学の知識を活用していたというのは確かに柔軟だなと思いました。

第七章 韓国統監の”ヤヌス”の顔

・伊藤博文が韓国に行ってその統治に関わるようになったことはどちらかと言えば「左遷」というイメージでとらえていましたが、韓国でも精力的に日本で行った民本・法治・漸進主義を進め、軍においても韓国では文民が最高権力を持つ立場を作り、日本で十分にできなかったことを韓国で実現しようとしていたというのはこれまた壮大な話だと思いました。
ただ、韓国の現状と伊藤博文が目指した理想の姿のギャップを埋めるために急ぎ過ぎて漸進主義とは言い難いほどに急進的だったのではと思いました。