【職業としての学問】レポート

【職業としての学問】
マックス ウェーバー (著), 尾高 邦雄 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4003420950/

○この本を一言で表すと?

 学問そのものに対する考え方と教師としてのあり方について触れた本

○考えたこと

・短くて平易な文章で、マックス・ウェーバーの本で一番読みやすく、理解しやすかったように思いました。

・「あとがき」と「旧約の序」で全体の概要やポイントについて触れていたので全体像がよりつかみやすかったです。

・アメリカとドイツで私講師になったときのあり方の違いに触れていて面白かったです。
アメリカでは私講師になると授業をこなして稼ぐ必要があり、またそれを強制されること、ドイツでは授業はそれほど強制されず、むしろやりたくてもやれないのでそれなりに余裕のある立場でないとなれないこと、というのは両極端だなと思いました。
どんな階層でもできる代わりに研究に時間を費やせないアメリカと、階層が限られるものの、若い頃から研究に時間を割けるドイツというのは一長一短で興味深かったです。
マックス・ウェーバーの時代でもすでにアメリカ寄りに移行している時期だったそうなので、この時代のドイツ型の大学は現代においてはほとんどないかもしれませんが。

・大学の教授としては、学者であることと教師であることが求められ、どちらかに才があってももう一方には才がないということがありえるというのは確かにそうだと思いました。

・学問においても芸術家の持つ「霊感」は必要で、それには最低条件として学問に対して情熱を持っていることが必要である、というのは、学問上の発見をしてきた人の歴史等を知ると確かにそうだなと思いました。

・教師が「指導者」となってはいけないこと、価値判断をするための思考能力を鍛えさせることは良くても、価値判断そのものを与えてはいけないことは、考えてみると意外と珍しい意見だなと思いました。
時代によっては教師に「指導者」としての役割も求め、時代によっては許さないということもあるなと思いました。
教師だけでなく、親のあり方など、だれが「指導者」としての役割を担当するか、という問題でもあるような気がしました。

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