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【平成金融史 バブル崩壊からアベノミクスまで】レポート

【平成金融史 バブル崩壊からアベノミクスまで】
西野 智彦 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121025415/

○この本を一言で表すと?

  報道局で平成の金融の動きを見てきた著者の視点を通した平成金融史の本

○面白かったこと・考えたこと

・政府の担当者の当時の役職や発言を中心にまとめられていて、当時の状況が感情的な発言等も含めて描写され、迫力のあるギリギリの状況が伝わってきたりしました。
金融当局と銀行や様々な関係者によるドラマのような熱い内容でした。

第1章 危機のとばくち

・バブル期の架空預金証書が使われた事件、イトマン事件や営業特金による証券会社の損失補填、BCCIの不正経理による営業停止で起こった「時差に伴う外国為替決済リスク」の発生など、他の本では詳しく述べていないような細かい事件も合わせて様々な事件が紹介されていました。
当時の宮澤首相と大蔵省の考え方が相違していて、どうやって首相に考えを飲ませるか工夫しているところなども描写されていました。

・住専問題が農林系の金融機関を通じて資金が流れていたために問題が解決しづらかったこと、日銀と大蔵省銀行局との間で不信感が生まれていたこと、農水省と大蔵省の間で住専問題解決についての覚書が交わされ、のちに問題になったこと、東北の三行の合併の話が出てご破算になったこと、経済学で有名な岩田規久男教授のハイパワードマネーの量を増やせばマネーサプライが増えて解決するという「岩田理論」で論争が起こったこと、日銀の鬼平と呼ばれた三重野総裁が利下げに逡巡したことなど、当時の動きが時系列で述べられていました。

・破綻しかけている東京の信用組合の合併構想があって、当時の武村大蔵大臣は救済に反対していたものの納得させられ、東京都知事が反対していたものの、大蔵省銀行局長が説き伏せて受け皿銀行になる「東京共同銀行」が設立された経緯、その話がまとまった後でバブル期に官僚への過剰接待などで睨まれていた東京共和信組の高橋のことを野中広務自治大臣と橋本龍太郎通産大臣に指摘されて合併後にケチがついたこと、同じスキームで救おうとしていた兵庫銀行の話が急にストップされてそのまま継続営業させられた話なども出ていました。

・住専処理が結局農水省の要望通りの公金投入で解決され、それが後の財金分離に繋がったそうです。

第2章 金融危機、襲来

・20世紀終盤の金融危機の流れが時系列で詳細に述べられていました。
 銀行局から阪和銀行の監査人である朝日監査法人に指導があり、債務超過から戦後初の業務停止命令を発動することになったこと
 これが他行にも大きな影響があり、その後の破綻処理を慎重にさせることに繋がったこと
 大手20行について当時の三塚大蔵大臣がルービン米財務長官との会合で「潰しませんから」と言い、衆院予算委員会でも同様の発言をしたこと
 日本債券信用銀行がかなりの危機に陥ってそちらに銀行局の注意が向いている中で、北海道拓殖銀行も危機に陥って北海道銀行との合併案が出ていてそれが決裂したこと
 証券準大手の三洋証券が破綻の危機になって小手川証券局業務課長が秘密裏に動いて他の証券会社や三和銀行にアプローチしていたがそれが産経新聞に漏れたことで瓦解したこと
 その後は救済処理を行うことができずに上場証券会社の初の破綻となったこと
 このデフォルトにより萎縮した金融市場で北海道拓殖銀行がまず資金ショートし、続いて四大証券の一つである山一證券が自主廃業し、紀陽銀行から始まる取り付け騒ぎがスタートして各地方で悲鳴が上がり、ついに公的資金投入が決まって30兆円の予算が確保されたこと
 日債銀と長信銀が突出した金額で申請し、資金投入の話が落ち着きかけたところに、1998年1月26日に大蔵省への接待汚職疑惑に対する強制捜査が行われ、日銀にまで捜査の手が及び、金融の統治機能が必要なときに麻痺するという事態に陥った。

・G7ではバッドバンクは潰せと日本がバッシングを受ける事態になり、海外のアドバイザーによる「金融安定化策に関する最終報告書」を受けることになったそうです。

第3章 二波、そして三波

・長銀がスイス銀行と提携したのちに切られてしまい、住友信託銀行との提携が政府関係者の圧力のもとで進められる中でそれが国会の争点になって大荒れになり、ついに長銀が破綻認定を受けてアメリカのリップルウッド社などからなる投資組合に売却され、新生銀行となる顛末が書かれていました。

・次に日債銀が長銀と同じスキームで破綻処理され、第二次公的資金投入で東京三菱銀行を除く大手14行と横浜銀行が総額7兆4592億円の資金投入を受けることになり、その公的資金返済のための収益力増加の手段として大手行は再編へと突き進み、みずほグループ、三井住友グループ、りそなグループ、UFJグループなどにまとまっていったそうです。

・その後第二地銀が連続して破綻し、更に信用組合が破綻ラッシュに見舞われ、ペイオフ解禁が延長されることで落ち着いたそうです。

・日銀の速水総裁がゼロ金利解除に踏み切り、それが裏目に出て日本の株価下落、景気変調と連動してしまい、ゼロ金利から量的緩和まで実施することになる中で、速水総裁が一人その方向に反対し、日銀のスタッフはひたすら速水総裁を抑える方向でがんばっていたそうです。

・小泉政権になってからそれまで金融行政を率いていた公的資金再投入反対派の柳澤金融担当大臣から竹中経済財政担当大臣に兼務させるというサプライズ人事があり、大手行を刺激する繰延税金資産の基準厳格化で議論が過激化し、そこから手加減した金融再生プログラムが通り、大手行は不良債権の大量処理と大規模な増資に動いていったそうです。

・その中でりそな銀行が繰延税金資産の全額否認を監査法人から通知され、過少資本に陥ることになり、これを金融庁も事前に知らなかったために大混乱になったそうです。

・その後更にもめたあとに公的資金投入が決まり、りそな銀行はついに史上初の特別支援銀行になったそうです。
実質国有化されたあとで2014年にようやく公的資金を全額返済できたそうです。

・速水総裁から福井総裁に代わった日銀では大規模な為替介入と量的緩和を実施したそうです。

・りそな銀行のあとで危機に陥った足利銀行は債務超過でりそな銀行と同じ特別支援銀行ではなく特別危機管理銀行に指定され、破綻処理されたそうです。

・その後UFJ銀行は資料隠しで銀行法違反に問われ、業務改善命令を受けて追い込まれ、東京三菱銀行と合併して三菱UFJフィナンシャル・グループを結成することになったそうです。
このUFJ銀行の処理で一通り落ち着いていったそうです。

第4章 脱デフレの果てしなき道

・2006年に量的緩和解除の出口を最初から考えていた福井総裁が金融庁ともすり合わせが終わった後で安倍政権の首相官邸に阻まれ、それでも実現したこと、更に同年にゼロ金利も解除したものの失敗とみなされてしまったことが述べられていました。
このときの経験から第二次安倍政権のアベノミクスの政策に繋がったそうです。

・福井総裁の任期が切れて次期総裁人事が混乱していたことにリーマンショックが起き、リーマン・ブラザーズの日本法人の民事再生法適用などが祝日であったためにスムーズに処理できた等の出来事があったそうです。

・リーマンショックで企業のメインバンクがCP引受をできないほどになって日銀にその引受を頼むなどの事態が起きているときに民主党政権になり、中小企業金融円滑化法が制定されて返済条件の緩和の努力義務が銀行に課されるようになったそうです。

・竹中チームの中核だった木村が2004年に設立した日本振興銀行がずさんな審査で不良債権が膨らみ、2010年に金融庁の検査を妨害して木村を始めとする経営陣が逮捕され、史上初のペイオフに繋がったそうです。

・量的緩和の効果に疑問を持つ白川総裁から、安倍政権に政権交代した後の黒田総裁に代わり、無制限の量的緩和が実施されていったそうです。
黒田バズーカと呼ばれたインパクトはすぐに限界が訪れ、マイナス金利に踏み切っても状況は改善せず、その混乱のままに平成が終わっていったそうです。

○つっこみどころ

・報道局の人の視点だからか、当時のニュースの論調をそのまま受け止めたような記述が目立ったように思いました。
尾上縫の事件で、尾上縫が主導して興銀から資金をだまし取ったような記述がありましたが、その点について後の裁判で興銀側の責任を認めさせた判決があったと思いますが、100%尾上縫がやったような書き方がされていました。

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