【マレーシア凛凛】
伴 美喜子 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4839601534/
○この本を一言で表すと?
マレーシアに長年関わった人の爽やかな現地レポート
○この本を読んで面白かった点
・国際交流基金クアラルンプール日本文化センター副所長として勤務し、帰国したのちにまたクアラルンプールに戻ってマレーシア国民大学で日本語教師を務めた著者の全体としてマレーシアに対する暖かい視線で書かれていて、マレーシアという国に対して親しみが持てました。
第1章 民族それぞれの暦の中で
・多民族で多宗教の国であるマレーシアではいろいろな暦があり、排他的ではなくてお互いの暦を尊重する姿が書かれていました。
イスラム教のラマダン明けのハリラヤで他宗教の人も食事に招待したり、中国系の農歴新年で多民族の人にも紅包(アンパオ)というお年玉を配ったり、ヒンドゥー教でもディーパバリという祭りでオープンハウス(自宅を開放)したり、クリスマスや仏誕節もあったり。
祝日もハリラヤ・プアサ、ハリラヤ・ハジ、イスラム正月、預言者ムハンマド誕生日はイスラム教、中国正月は中国系、ディーパバリはヒンドゥー教、クリスマスはキリスト教、仏誕節は仏教と、各宗教の特別な日が国全体の祝日になっているのは面白いなと思いました。
第2章 多民族社会の風景
・マレーシアの中国系の人の人名をアルファベットにするととても覚えられないが、漢字にすると一気にシンプルになるという話で、中国の出身地によって読み方が異なり、広範な地域からマレーシアに来ているのだなと思いました。(P.78)
・イスラム教徒は苗字・姓がなく、自分の名前の後に父親の名前を書くということは他の本でも書かれていましたが、知らなければ父親の名前で呼びそうだなと思いました。
日本のニュースでイラクのサダム・フセインを「フセイン大統領」と呼んでいたのは、かなりおかしなことなのだなと改めて気づきました。
・マレーシアで豚経由で日本脳炎が流行したとき、多宗教国家であるマレーシアでは豚を嫌悪するイスラム教徒が豚をよく食べる中国系に対する非難することがあったらしいですが、そういったことがあっても乗り越えているマレーシアという国はすごいなと思いました。
第3章 マレーシアという「国」
・1997年のアジア通貨危機後、IMFの金融支援を拒否して1年間通貨規制措置を取り、立て直した当時のマハティール首相のリーダーシップはすごいなと思いました。
・13州のうち9州にはスルタンがいて、5年交代の輪番制で国王を担当しているというのは面白いなと思いました。
タイの国王と同じように国民に尊敬され、国王夫婦の肖像画が企業で飾られているそうです。
・14年前のマレーシアではBN(与党連合)とBA(野党連合)が対決し、各連合にはマレー系、中国系、インド系の政党がそれぞれ参加して個別に対決していたそうです。
・米国同時多発テロに対して、軍事解決には反対しつつ、タリバンやアルカイダを批判するという姿勢を崩さず、親米国であるという立場を取り続けたそうです。
イスラム教徒が多数を占める国でこういった冷静な態度を取れたというのはすごいなと思いました。
第4章 南国の自然・風物
・日本の短歌・俳句のように、マレーシアではパントゥンという行数や韻の踏み方が定められた詩の形式があるそうです。
1998年に日本の詩人と東南アジアの詩人が集まってパントゥン連歌の会というのが催されたそうです。
第5章 マレーシアと日本
・マレーシアでは日本語弁論大会や日本語能力試験への参加が盛んなのだそうです。
・マレーシアの親日家として、日本占領下のマレーシアで日本人と共に日本語教師として働いていた元ペナン州元首のハムダン氏、王家の血筋で徳川家の奨学金で日本留学して日本の俳句や映画にも詳しい元マラヤ大学学長のウンク・アジズ氏、戦時に広島に留学していて被爆しながらも生きながらえてマレーシアで日本語教育を確立したアブドゥル・ラザク氏などが挙げられていました。
・1977年以降、盆踊りが毎年開催され、数万人の動員があるそうです。
・13年前は今のK-POPのように日本の歌やドラマがマレーシアの若者間で大流行していたそうです。
第6章 文化交流の現場から
・交換留学生などで日本とマレーシアの交流はかなり親密なように思えますが、互いの書物の翻訳などは進んでおらず、13年前時点では文化交流としてはまだまだだと書かれていました。
・1993年にマレーシア国立交響楽団が旗揚げ公演をすることになり、日本からも音楽家を派遣し指導などで関わっていたそうですが、公演までに完成させようと焦る日本人に対し、マレーシアのディレクターのスピアット氏が「先進国である日本ではPRODUCT(完成品)が大切ですが、マレーシアではPROCESS(過程)が大切なのです。今回だけの成功ではなく、続けていくことが大事なのです。演奏家だけでなく観客も育てていかなければなりません。大切なのは国民に一歩一歩前進しているという実感と喜びを感じてもらうことなのです。」と告げた話は、ただ先進国の真似をするのではなく、先のことをしっかり考えて国家事業に携わっているという気概を感じました。