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【もういちど読む山川日本史】 【山川 詳説日本史図録】(近代)レポート

【もういちど読む山川日本史】
五味 文彦 (著), 鳥海 靖 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4634590646/

【山川 詳説日本史図録】
詳説日本史図録編集委員会 (編集)
https://www.amazon.co.jp/dp/4634025256/

<第11章 近代国家の成立>

・ペリー艦隊が最初に来た時の航路がアメリカからヨーロッパ、アフリカ、南アジア、東南アジア、東アジアを回って日本に到達していたことに驚きました。
これだけ様々なところを経由した後で日本を開国させるための交渉ができたというのはすごいバイタリティーだと思いました。(P.208~210)

・当時の外国と日本の金銀交換比率が大きく異なることは知っていましたが、銀を持ってくるだけで通常の3倍の金が得られるならこれほど安全な商売はないなと思いました。(P.211,212)

・開国当時、蚕自体がヨーロッパで高騰していて蚕卵紙という蚕の卵を産み付けた紙が主要な輸出品となっていたことは初めて知りました。(図録P.196)

・井伊直弼が暗殺された桜田門外の変は知っていましたが、井伊直弼の策を継いだ安藤信正のことを知りませんでしたし、同じように襲われた坂下門外の変も知りませんでした。
桜田門外の変の前例を知っていても対策を打てなかったのでしょうか。(P.213)

・長州藩が外国船砲撃の報復で大いにやられた四国連合艦隊下関砲撃事件に対し、薩英戦争は一方的に負けたのではなく和平という形だったと思います。
この頃の薩摩藩の先進性はすごいなと思いました。(P.214)

・長州藩の高杉晋作と桂小五郎は下級藩士ではなく上級藩士のはずですが、記載の検証はあまりされていないのでしょうか。(P.215)

・当時のイギリスとフランスは清を攻めるときには結んだり、アフリカやインドでは争ったりしていますが、日本では薩長側にイギリス、幕府側にフランスが付いていたというのは面白いなと思いました。(P.215)

・新政府成立後、廃藩置県等の政策が順調に進んでいったような記述になっていますが、司馬遼太郎氏の「翔ぶが如く」では政府成立後の10年は常に綱の上を渡るような危ういバランスの中で様々な施策が行われたとありました。
その混乱の締めとなる西南戦争も、持っていき方によっては士族側が勝利しかねないような状態だったようです。
西郷隆盛が最後の美学として不平分子と共に滅びるように持っていったようにも思えました。(P.217~234)

・廃藩置県を実施した当時の都道府県は今とだいぶ違うなと思いました。(図録P.202)

・徴兵制導入当初に「徴兵免役心得」のような文書が出ていたのは面白いなと思いました。
制度のすき間を縫って免れたいという気持ちはいつの時代も同じだなと思いました。(図録P.203)

・官営事業で富岡製糸場など有名なところは知っていましたが、明治初期から全国に何十か所も展開されていたことは初めて知りました。(図録P.206)

・東大の元になった帝国大学の流れが林羅山の湯島聖堂学問所から続いていることは初めて知りました。(図録P.210)

・小笠原諸島が一度英国領になっていたところを日本が領有宣言をしてみとめられたという経緯を初めて知りました。(図録P.213)

・新選組の話がほとんど出てこないなと思いました。(池田屋事件が書かれていたくらい)

・司馬遼太郎氏が幕末や明治維新に関する小説をいろいろ書いていて(「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「世に棲む日日」「花神」「翔ぶが如く」)、それらを読んだ記憶と照らし合わせると面白いなと思いました。

<第12章 大陸政策の展開と資本主義の発達>

・明治の27年に清と戦争し、勝利を収めるだけの力をつけることができた日本の成長力はすごいなと思いました。(P.245,246)

・明治維新元勲の元老政治家の影響力はすごいなと思いました。
司馬遼太郎氏は山縣有朋が嫌いなのか、昭和の太平洋戦争に至るまでの陸軍の権力と文化を創り出したのは山縣有朋だと断定して非難していました。
西南戦争の首魁に祭り上げられた西郷隆盛の弟の西郷従道、親戚の大山巌が元老になっているのも面白いなと思いました。
西郷隆盛は元々「西郷隆永」だったらしいですが、戸籍登録の際に間違えられてそのままにし、西郷従道は同様に「西郷隆道」だったのを間違えられてそのままにしたそうです。(P.249)

・日露戦争は司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」で詳しく書かれていました。
この小説ではいろいろフィクションも混じっているようですが、史実でも伊藤博文のように最後までロシアと戦争したくなかった人たちがいたり、アメリカで日露戦争の終着点としての和平をルーズベルト大統領に依頼した金子堅太郎のような人がいたり、戦争の準備から決着までいろいろな動きがあって、このような結果になったのだなと思いました。(P.250~252)

・日露戦争以後の日米対立について書かれていましたが、アメリカは日露戦争後すぐにオレンジ計画と言われる対日政策を立てていたそうです。
もちろんいろいろなシナリオのうちの一つだと思いますが、明治政府樹立以降つねにギリギリの線でやっていっている日本と、視野を広げて考えることができる立場のアメリカの大きな差かなと思いました。(P.254,255)

・江戸末期からおこっていた天理教、金光教、黒住教が明治になって広まっていったというのは世の中の不安定さかなと思いました。
今でも天理教は活発に活動していますし、鳥取で黒住教の神社のようなものも見かけました。(P.262)(図録P.199)

・1874年の台湾出兵と平定後の統治は出兵時に清から賠償金を受けとり、統治機構を組み込むなど、最初から最後までかなりうまくいった政策だなと思いました。(図録P.212,225)

・在日外国人の業績とそれに続く日本の自然科学者の業績はすごいなと思いました。
知識を得て、自分たちで発展させることができるようになるまではある程度の土台が必要だと思いますが、その土台を在日外国人が与えてくれたのだろうなと思いました。(図録P.244)

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