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【太平天国――皇帝なき中国の挫折】レポート

【太平天国――皇帝なき中国の挫折】
菊池 秀明 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4004318629/

○この本を一言で表すと?

 太平天国の設立から滅亡までを様々な視点から分析した本

○よかったところ、気になったところ

・「太平天国の乱」については歴史の教科書などで出てくるので知っていましたが、その実態についてはあまり知りませんでした。
想像していたよりも大規模で、何千万人という人が亡くなっていて、この本の帯の「人類史上最悪の内戦」と書かれていることも大げさではないなと思いました。
世界史上でも大きなトピックだと思いますが、教科書等で大きく扱われていないのはおかしいなと思いました。
中国内でも位置づけが難しい出来事なので日本が忖度しているのかもしれません。

・宗教団体としての内紛、主導権争いがそのまま国家の滅亡に繋がっていること、それが近代と言える時代に起こっていることが興味深いなと思いました。
仕組みづくりがもっとうまくできていて、うまく運営できていれば、太平天国が清朝に取って代わることも可能だったように思えますが、それは難しかったのかなとも思いました。

一 神は上帝ただ一つ

・洪秀全がマイノリティーである客家人として、科挙に失敗して挫折したときにキリスト教に触れ、プロテスタントの宣教師が聖書の中国語訳で神に上帝という訳語を当てていることから、上帝を唯一の皇帝として歴代皇帝を批判し、偶像破壊運動に進んでいったというのは、かなり偏ったキリスト教の受容の仕方だなと思いました。
イスラム教やモルモン教の始まりに似ているような気もしますが、東洋思想と合わせると大きく異なってくるのだなと思いました。

・楊秀清と簫朝貴がシャーマンとして天父ヤハウエと天兄イエス・キリストを降ろしたとして、洪秀全をヤハウエの次子、イエスの弟と位置づけたというのは、中国らしいキリスト教の受容の仕方だなと思いました。

二 約束の地に向かって

・太平天国の乱で「滅満興漢」がテーマとして掲げられていることは歴史の教科書でも載っていましたが、その背景についてはこの本で初めて知りました。
上帝の子としての漢民族、中国人という位置づけと、中国人ではない満州人・旗人という位置づけで、中国人以外を排除する中華思想の延長の考え方だというユダヤ教の中国版のような思想だったというのは興味深いなと思いました。

・聖庫制度として糧食を集め、分配する共産主義の原型のような制度が実施されていたのは興味深いなと思いました。

・武漢占領で大都市の富と出会い、太平天国の主流の農民・流民と都市民との相違の気づきや収奪に繋がっていったことなど、文化の異なる者同士の交流でのトラブルが起こっていたことは興味深いなと思いました。

三 「地上の天国」の実像

・太平天国では宗教的な不寛容さから都市住民からの反発も多く、悪平等にも繋がり、画一的な労働等もあって非効率的な運営になっていたというのは興味深いなと思いました。
満州人の排除が宗教的な前提になっていて度々虐殺を起こすなど、極端な姿勢も後の問題に繋がったのかなと思いました。

・洪秀全や五王による分権体制から、共有資産に対して競争関係にあるような体制になっていて、極一部の上層とそれ以外の不平等な体制にもなっていたようです。

四 曽国藩と湘軍の登場

・太平天国の影響で清朝では漢人官僚不信に陥っていたことは清朝の更なる体制弱化に繋がっていったのかなと思いました。

・曽国藩が私的な軍隊を創設し、義勇軍としての湘軍として編成し、その後太平天国を打倒していく中心になったことは、太平天国軍の非効率な動きと清朝の統制の弱さと相まって興味深いポジションにあるなと思いました。

五 天京事変への道

・同じキリスト教を信仰するものとして太平天国と列強とで交渉があったものの、上帝を神とする根本的なところで相容れず何も連携できなかったことが興味深かったです。
教義が違っていれば、太平天国と列強が連携する道もあったかもしれないなと思いました。

・楊秀清が東王として洪秀全の配下であるのと同時に、天父として洪秀全のキリストの弟という立場の父親となって、洪秀全に杖刑にすることができるほどの権限を持ち、他の王の権利を剥奪するなどして軍権も握っているという立ち位置で、洪秀全と同じ万歳の地位も求めたことでついに洪秀全も許容できなくなり、天京事変が起きて楊秀清やその部下たちが粛清されることになったのは、体制上いつかは起きていたことだったのかなと思いました。

六 「救世主の王国」の滅亡

・合流が遅れ、香港でまともなキリスト教を学んだ洪仁玕が合流し、制度を整備し、列強との交渉も再開したものの、洪秀全の信頼を失って失墜したことは、狂信的な体制にまともな人が合流すると痛い目を見るという度の国でもどの時代でもありそうな話だなと思いました。

・優秀な将軍だった李秀成も洪仁玕と同様にまともだったために割りを食った人物で、献言が洪秀全に受け入れられなかったところに悲哀を感じました。

・洪秀全が破滅的な言動で太平天国を衰退させながら、自身は病気で倒れ、太平天国の滅亡を見ずに去っていったことは、何だかずるいなとも思いました。

結論

・太平天国が孫文に参考にされ、また太平天国の分権的なありかたは反面教師として蒋介石の国民党や毛沢東の中国共産党の集権的な「党国体制」に繋がったとされていました。

・太平天国の「中国人」以外を排斥する不寛容さ、中華復興の姿勢は中国社会に残っていると結論されていました。

○つっこみどころ

・「ある江南の読書人が記した・・・」のような記述が多く、「読書人」という用語で記録を残した人たちが一括りにされていて事実関係が曖昧になっている箇所が多いように思いました。

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